街歩き


九品仏から等々力渓谷を歩く


2011.5.4歩く

コ ー ス  徒歩約1時間40分
東急大井町線九品仏駅(3分)九品仏淨眞寺(25分)玉川神社(3分)満願寺(5分)等々力駅(2分)ゴルフ橋(8分)横穴古墳(3分)等々力不動(2分)日本庭園(10分)善養寺(5分)六所神社(5分)野毛大塚古墳(18分)上野毛自然公園(1分)覚願寺(4分)五島美術館(6分)東急上野毛駅

 多摩川支流の谷沢川が国分寺崖線を侵食してできた等々力渓谷。鬱蒼とした木に覆われた森閑とした渓谷。都心の住宅街の中にあるとはとても思えないほど。
 そんな等々力渓谷を挟んで、関東で唯一九品往生思想の残る九品寺から帆立型古墳のある野毛大塚古墳へ、さらに上野毛自然公園へと都内の新緑を訪ねて歩いた。




東急大井町線九品仏駅
 東京駅から京浜東北線15分ほどで大井町駅。そこで東急大井町線に乗り換えて15分で九品仏駅に着く。

 最後部から改札を出ると左へ線路を渡る。

淨眞寺参道
 すぐに横断歩道があり、直進する車道と分かれて左斜めに入る参道を行く。駅から200mほどで総門があり、これを入ると3万6千坪の広い寺域。ここは九品仏として知られているが、正式名称は九品山唯在念佛院淨眞寺という浄土宗のお寺。
 ここはもと世田谷城主吉良氏の家臣大平氏の城館であった奥沢城の跡で、当時の土塁が残っている。ここに延宝6年(1678)、珂碩上人によって淨眞寺が開創された。

淨眞寺仁王門
 総門を入って少し先を左に折れると本堂に通じる仁王門がある。三間一戸の重厚な楼門で、左右に阿形と吽形の金剛力士像を安置し、楼上には阿弥陀如来像と二十五菩薩像が安置している。
 仁王門を入ると右手に西面して本堂がある。伽藍配置が少し変わっているが、寺域全体を極楽浄土を象っていて、本堂を此岸とし、西方に本堂と正対して彼岸の三仏堂がある。
 本堂は元禄11年(1698)に二世珂億上人の建立で、釈迦牟尼如来像を本尊としている。

三仏堂
 本堂の西側に、本堂と向き合うように東面して三つのお堂があり、それぞれに丈六の阿弥陀如来像が三体ずつ安置されている。開山の珂碩上人が18歳のときに発願し、51歳のときに完成したもので、併せて九体あるところから九品仏と言われている。
 九品は上品、中品、下品に分けられており、さらにそれぞれ上生、中生、下生に分けられ、上品上生、上品中生などという。

三仏堂2
 三つのお堂の中央が上品堂、向って右(写真奥)が中品堂、左(手前)が下品堂。それぞれ3体の阿弥陀如来が安置されており、中央を上生仏、向って右を中生仏、左を下生仏という。
 これは、人々の生前の信仰の深浅、功徳、罪業の如何によって、同じ極楽往生するにも9段階に分けられており、この9体の阿弥陀仏によって夫々の娯楽浄土へ導かれるという。平安後期に流行った9品往生の思想によるもので、西では京都の浄瑠璃寺に残っている。

 境内には、このほか総門を入ったすぐ右に江戸名所図会にも描かれている閻魔堂。美しさが清楚な鷺草にたとえられていた奥沢城の姫君常盤姫が、その美貌がゆえに命を落としたという秘話伝説にちなんで造られた鷺草園等がある。

 本堂の此岸と三仏堂の彼岸に橋を架け、25の菩薩のお面を被った信徒が、来迎・往生・還来の3回行道する二十五菩薩来迎会(おめんかぶり・都の無形文化財)が3年に1回行われる。毎年行われる奈良・当麻寺の練り供養は良く知られているが、関東では淨眞寺だけで行われている。

 淨眞寺の総門を出て右へ。黒松の並木の下をさらに右へお寺を回りこむように進む。突き当りを左へ道なりに進み、通りを渡って直進する。
 住宅地の中を左に銭湯、右にぶどう園を見ながら進むと目黒通りに出る。

 通りを渡って左へ行くとすぐ右手の高台に玉川神社がある。

玉川神社
 創建は明らかではないが、文亀年間(1501〜04)に世田谷城主の吉良頼康が紀州熊野より勧請したと伝え、はじめは熊野神社といっていた。明治40年(1907)に村内の神明社、御嶽社、諏訪社の三社を合祀し社名も玉川神社と改称された。
 祭神は、伊弉諾尊、伊弉冊尊、天照皇大神。商売繁盛、縁結び、延命長寿のご利益があるという。
 

満願寺
 神社を出て、目黒通りの西隣、100mほどで満願寺。門を入ると玉砂利を敷き詰めた正面にすっきりとした本堂がある。
 文明2年(1470)定栄和尚の開山による、致航山感應院満願寺という真言宗智山派のお寺。本尊は弘法大師の作と伝える大日如来。現在の本堂は昭和45年に新築されたもの。
 江戸前期の名筆家で、老中柳沢吉保にも重用されたと言う細井広沢の墓があり、国の史跡に指定されている。

一言地蔵
 本堂に向かって左手に、これも新しく建てられた堂の中に一言地蔵が安置されている。願いを欲張らずに一言だけ述べれば成就するという。
 以前は満願寺に3体あったが、1体は港区の真福寺に、もう1体は茨城県の萬徳寺に分けて安置され、これを三体地蔵と称している。

等々力駅
 満願寺を出てすぐ前の道を右(西)へ行くと200mほどで等々力駅前の通りに出る。これを左へ、東急等々力駅を左に見て線路を渡り、50mほど先を右に折れるとそこが等々力渓谷で、渓谷に架かるゴルフ橋がある。

ゴルフ橋
 橋の脇から右手の階段を下りる。流れの幅は4・5mほど。ここから下流1kmほどの間は武蔵野台地が浸食されて渓谷となっている。住宅地となっている両岸の上の台地とは10m余りの高低差がある。  

等々力渓谷
 岸辺の斜面はケヤキ、カエデ、コナラ、シラカシ、ヤマザクラ等の樹林が鬱蒼と繁り、住宅街の中とは思えない。
 ここは、都区内で唯一の渓谷という。その名も等々力渓谷。流れは武蔵野台地の国分寺崖線を浸食してできたもので、ハケから湧き出した水を集めている。水量はそれほど多くはなく、あまりきれいとはいえないが、周囲の深い緑には目や心が洗われる。渓谷沿いに遊歩道が整備されていて、多くの人が新緑を楽しんでいた。  

横穴古墳
 渓谷の中ほど、左岸斜面に横穴式の古墳がある。等々力渓谷横穴古墳群の三つあるうちの3号墳。前庭、羨道、玄室が残されており、玄室の奥行きは1.6m、高さ1.9mあるとのこと。切石で組まれた羨道にはガラスがはめられていて、中を見られるようにはなっているのだが、暗くて分からなかった。
 この古墳の上あたりで環八と目黒通りが交わっている。  

不動の瀧
 3号古墳から少し進むと、このあたりはもう等々力不動堂の境内。利剣の橋で流れを渡ったところ、等々力不動への急な階段を上る手前左手に細い雌雄の瀧が落ちている。利剣の滝(不動の滝)で、各地から訪れた修行僧が、修行したという。
 この不動の滝の音が辺りに轟いたことから等々力渓谷の名が付けられ、不動尊の山号も瀧轟山となっているが、この細い瀧水からは想像もつかない。これも国分寺崖線から湧き出た水。

等々力不動
 瀧の横から左に懸崖造りの舞台を見ながら石段を登ると等々力不像尊がある。紀州根来寺の興教大師が、役の行者の作った不動明王から夢のお告げを受けこの場所を発見、ここを修行の霊地として不動尊を安置したのが始まりと伝える。
 寺名は、瀧轟山明王院といい満願寺の別院で、真言宗智山派のお寺。戦国時代にはこのあたりを支配していた吉良氏が戦勝祈願所にしたという。

日本庭園
 不動尊からもと来た石段を下り、渓谷を対岸に渡り100mほど下ると右手に日本庭園がある。竹林や植え込み、石組みなど斜面を上手く利用して造られている。上り切ったところに芝生広場があり、トイレも完備して折、ここの芝生の上でお弁当を広げる人が多かった。すぐ先はもう住宅街。
 再び渓谷に下りて南へ100mほど下ると等々力渓谷も終わり。ここから先は一変して住宅街の中を流れる単なる用水路。  

善養寺
 矢川橋で右へ。100mほどで突き当たり、右折してすぐ左折、さらに100mで善養寺の墓地に突き当たるので、これを左から西へ回りこんで入る。
 佛性山善養寺と言い、真言宗智山派の総本山智積院の末寺。開山は江戸初期に祐栄阿闍梨によるもので、本尊は大日如来。
 山門を入って右正面に本堂がある。昭和36年(1961)に奈良唐招提寺の金堂を模して建立されたものというが、どうだろう。垂木の下のものは丸垂木とし、天平様式を伝えているが。

 山門の石段下左右に祀られているユーモラスな石造りの「海駝」は架空の獣で、火除けの神。境内にはこのほか幾つもの石像がある。
 本堂前には樹齢1千年を超える大榧の木があり都の天然記念物に指定されている。  

六所神社
 善養寺の北側にある。善養寺を出て丸子川に沿って北へ。60m先の橋を渡り東に入り坂を上がると左にある。
 昔多摩川が洪水で氾濫したときに流れてきた府中大国魂神社の小詞を引き上げて祀ったのがご神体という。明治31年(1898)旧下野毛村の6社を現在地に合祀してできた神社。祭神は、伊弉諾命、伊弉冉命、天照皇大神、誉田和気神、大山都見命、菅原道真命。

野毛大塚古墳
 六所神社の東側の道を150mほど北上すると玉川野毛町公園がある。野球場、テニスコート、プールなどの施設があるスポーツ公園で、その一角に野毛大塚古墳がある。
 古墳ははじめ円墳と思われていたが、昭和63年(1988)の発掘調査で、円形部に前方部が付いた前方後円墳と判明した。大きさは、後円部が直径約68m、高さ11m。前方部は、長さ15m、幅28m。このように前方部が短いので、帆立貝のように見えるところから、帆立貝型前方後円墳と言っている。  

帆立貝型古墳
 出土品には甲冑、鉄刀、鉄族、鉾などの武具の他、祭祀に使われたと思われる石製の武具や農具などの模造品が沢山出土している。これらの出土品から見て、この墓は、5世紀後半の中央と結びついたこの地方の有力な首長のものではないかといわれている。
 古墳はきれいに復元されていて、テラスには円筒型埴輪が並べられており、階段で墳丘部に上れるようになっている。上から見ると帆立貝型の形式が良く分かる。  

第三京浜国道
 公園を北側に出て、環八通りを左へ向う。歩道橋で第三京浜国道を渡り、三つ目の通り(歩道橋の手前)を左に入る。住宅地の中の道を行く。明神坂のちょっと急な坂を下りきって、同名の橋で丸子川を渡り、川に沿って右へ行く。400mほど行くと右手に鬱蒼と茂る森が見えてくる。上野毛自然公園で、丸子川を渡って入る。  

上野毛自然公園
 国分寺崖線の斜面に残された雑木林を利用して造られた公園で、江戸時代から続く名主の田中家が明治時代に造った庭園を引き継いだもの。
 急な斜面に沿って張り巡らされた鉄製の階段を上り下りしながら、自然のままの植物群を観察する仕組みになっており、ちょっと変わった公園だ。
 長い鉄製の階段を上りきるとちょっとした広場になっておりベンチもある。奥の入口から通りに出て右折するとすぐ隣に覚願寺がある。

覚願寺
 正しくは自性山聖徳院覚願寺と称し、真言宗智山派のお寺で、満願寺の末寺である。天文年間(1532〜1555年)の創建と伝えるが、明らかではない。本尊は大日如来。院号から分かるように、創建当初は聖徳太子像が本尊だったようだ。
 昭和63年に造営された門前には、天文6年(1741)の庚申塔と寛延4年(1741)の馬頭観音などがある。  

五島美術館
 覚願寺の前の道を左(西北方向)へ300mほど進むと五島美術館がある。東急グループの総帥、故五島慶太氏が収集した源氏物語絵巻や紫式部日記絵巻など国宝5点を含め、4000点あまりの古美術を収蔵している。  ただし、現在改修工事のため平成24年秋(予定)まで休館中。
 美術館を先に進み東急大井町線を越えて右折、線路に沿うように行くと上野毛駅に着く。  




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