里山歩き


浅間山公園から野川公園へ


2008.5.4歩く

コ ー ス  徒歩2時間15分
JR中央線武蔵小金井駅(バス10分)浅間山公園バス停(1分)浅間山公園(20分)人見稲荷神社(10分)多磨霊園(30分)武蔵野公園(20分)野川公園(30分)龍源寺(10分)近藤勇生家跡・撥雲館(15分)西武多摩川線多磨駅

府中市と小金井市にまたがる広大な公園墓地多磨霊園を取り囲むように、西に浅間山公園、北に武蔵野公園、東に野川公園がある。いずれも自然豊かな都立公園。この3つの公園を結んで歩いた。花や鳥を観察しながら歩くと時間が足りないが、歩く距離に物足りないときは野川沿いに足を伸ばせば神代植物園まで1時間くらいでいける。

    

浅間山公園バス停
 浅間山公園へはJR武蔵小金井駅北口から東府中駅行きバスで10分。バス停の少し先を左に入るとすぐに入口がある。  

浅間山公園
 ここは人見原合戦といわれる南北朝時代の古戦場。正平7年(1352年)南朝の後醍醐天皇の子宗良が征夷大将軍となって鎌倉を攻めた。主力は新田義貞の次男義興・三男義宗。当初八百騎だったがその後新田一族や諸将が合流、その数10万とも。
迎える鎌倉幕府の足利尊氏軍にも応援が駆けつけ、双方合わせて20万の大軍がこの辺りで熾烈な戦いを繰り広げた。尊氏は形勢不利となって鎌倉に退いたが、新田勢も義興が負傷するなど追撃の余力が無く、勝敗がつかなかった。


ムサシノキスゲ
 浅間山はクヌギやコナラの雑木林に覆われ、武蔵野の面影を残している。5月中旬頃にはムサシノキスゲが咲き乱れる。  ニッコウキスゲに似ているがここだけに生育する固有種。ニッコウキスゲが、氷河期に広く分布したものが、上手くここだけ風土に順応して生き残ったものと考えられている。花が1日しか持たないのはニッコウキスゲと同じだが、夜になっても閉じないのが異なるところで、ニッコウキスゲの亜種ともいわれている。
 他にもキンラン、ギンランをはじめ貴重な花がよく保存されている。  

浅間神社
 浅間山公園には堂山、中山、前山と3つの山がある。一番高いのが堂山で標高80m。といっても周辺が50mほどあるので標高差は30m。山というより小さな丘だ。
 一番高い堂山の頂上に、木花開耶姫命を祭神とする浅間神社がある。神社といっても小さな石祠があるだけ。

人見稲荷神社
 浅間山神社から南東方向に下り、浅間山通りに出て右へ。2つ目の信号の手前の道を右折すると人見稲荷神社がある。境内にシラカシの樹林と大きなヤブツバキがある。共に府中の名木100選に選定されている。

元の道を浅間山公園の方へ戻り、最初の信号のあるT字路を右へ行く。左が多磨霊園。真直ぐ進むと霊園正門だが、途中の入口から霊園に入り中の道を行く。

多磨霊園
 広大な園地を持つ多磨霊園は、ドイツの森林公園を参考にしたというわが国最初の公園墓地。1000本あまりの桜のほか四季折々の花が楽しめる。
 西園寺公望、高橋是清などの政治家、山本五十六、東郷平八郎などの軍人、菊池寛、北原白秋、吉川英治、内村鑑三、梅原龍三郎、石坂洋二郎などの作家、文化人が眠る。  

武蔵野公園
 多磨霊園のシンボル塔から北に進み、霊園を出て府中運転免許試験場の横を行くと突き当たりの南小学校の横が都立武蔵野公園の入口。
 ここは公園内を散策しても良いし、少し先に進んで野川沿いに歩いても良い。野川沿いの広々とした芝生広場では子供たちが延び延びと遊び回っている。
 この公園は、都の公園や街路樹を育て供給する苗圃が前身で今も育成している。  

バーベキュー広場
 公園は自然に近い形での整備にとどめ、あまり人工物が無いのが却って落ち着きを感じる。
 公園の一角にあるバーべキュー広場も自由に利用でき、大勢の家族連れやグループで賑わっていた。  

野川
 バーべキュー広場から橋で野川を渡り対岸を歩く。 野川の水源は国分寺崖線の湧き水。JR国分寺駅の北側にある日立研究所の中にある湧水池が水源地。下流は川崎市高津区、二子玉川駅の近くで多摩川に合流している。近くの湧き水だけにきれいな流れで子供たちの良き遊び場になっている。川沿いには野川公園や下流には神代植物公園もあり、休日にはウォーキングを楽しむ人が多い。

野川公園
 岸辺の道が西武多摩川線をくぐると二枚橋。ここが都立野川公園の北の入口になっている。園内は広い芝生と大きな木立が交互にあり、木陰で憩う人が多い。ここは元国際基督教大学のゴルフ場であったが、都が「武蔵野の森構想」の下に昭和49年に買い取り、昭和55年に都立の野川公園としてオープンした。各ホールの芝生やそれを分ける木立、クラブハウスなどがそのままの形で使用されており、航空写真で見るとそれとすぐ分かる。

自然観察センター
 園内には自然観察園や自然観察センターがあり、観察センターでは野川や自然観察園の自然、湧き水について学べるよう展示されている。また観察園では鳥や昆虫、植物の観察会なども行われている。

野川公園大芝生
 観察センター前の中の橋で公園を分断する東八道路を渡ると南地区。広々とした芝生が続く。フェアーウエイの真ん中に向けて思い切りクラブを振ってみたい衝動に駆られる。こちらにはバーべキュー広場、テニスコート、ゲートボールコート、アスレチックコースなどの施設が整っている。
龍源寺
 公園を横切り、南の正門から出て車道を左に200mほど行くと天台宗の龍源寺がある。入口に近藤勇の胸像がある。寺に入り、本堂の左から裏に回るとすぐ右に近藤勇の墓所がある。近藤局長率いる新選組は鳥羽伏見の戦いで敗れた後、甲陽鎮撫隊を率いて勝沼で官軍と戦うがここでも大敗し、ついに流山で捕らえられて板橋で処刑され、首は京都三条河原で梟首された。後遺髪を土方歳三が持ち帰り、会津天寧寺に埋葬し、ここにも墓石が立てられた。遺体は遺族の手が密かに引き取られこの地に埋葬された。

近藤勇生家跡
 龍源寺を出て元の道を戻り、野川公園の入口を出たすぐ右に近藤勇の生家跡がある。近藤は天保5年(1834年)にこの地で宮川久次郎の三男として生まれる。幼名勝五郎。嘉永元年(1848年)15歳のとき、兄弟3人で天然理心流近藤周助の門人となるが、後天然理心流を継ぐために近藤周助の養子となる。  ここには現在勇の産湯にも使った井戸だけが残されている。

撥雲館
 人見街道を挟んで、生家跡の向かいに撥雲館がある。近藤勇の父宮川久次郎が広い屋敷内に建てた道場で、天然理心流の出稽古が行われていた。太平洋戦争が始まり、調布飛行場建設のため宮川卓は取り壊されたが、道場は門人達の手で東隣の峯岸家に移され、戦後人見街道拡幅工事の際再び現在の地に移築されたという。昭和50年代まで道場として使われていたらしい。「撥」とは取り除くという意味で、暗雲を取り除くという意味。当時の世相に合った命名。

西武多摩川線多磨駅
 撥雲館から西へ1km足らずで西武多磨駅に着く。


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