里山歩き


野川から深大寺を歩く


2007.10.21歩く

コ ー ス  徒歩1時間10
京王柴崎駅(8分)野川(25分)祇園寺(10分)野草園(10分)青渭神社(5分)水生植物園(5分)深大寺(7分)神代植物園(バス25分)JR吉祥寺駅

武蔵野の面影を偲びつつ、関東有数の古寺深大寺と東国最古の白鳳仏を訪ねた。



京王柴崎駅
新宿から京王線の各停で30分。街中のこじんまりとした駅に降り立つ。
改札を出て右へ道なりに商店から住宅街へと続く道を行くと狛江通りに通じる広い通りに出てこれを右に行くと野川に架かる大町橋だった。

野川沿いの遊歩道
大町橋の手前を右へ野川の左岸の遊歩道を上流に向かって進む。頭上を覆う桜並木、花時はさぞ見事で、花見客で賑わうことだろうと思われた。

遊歩道はよく整備されているが狭い。自転車などにも注意しながら京王線を潜り、青梅街道を横断して先へ進む。

野川の水源は意外と近いところにあった。JR国分寺駅の北側にある日立研究所の中にある湧水池とのこと。ここは古多摩川が侵食して出来た段丘、国分寺崖線の湧き水。道理で透き通っていると思った。水辺ではカルガモ・コサギ・カワセミが遊び、大きな鯉が泳ぐ。

祇園寺
大橋のところで野川とも分かれ、右折して祇園寺通りを行くと程なく左に祇園寺がある。正式には虎狛山日光院祇園寺という。
深大寺を開創した満功上人の生誕の地で、満功上人が開いたお寺だと伝える。

当寺は一時住職不在の時期もあったようだが、今は調布七福神の福禄寿や、関東百八地蔵霊場などにも数えられている。

自由の松
明治41年9月12日、当時の住職中西悟玄が自由民権運動の烈士の菩提を弔うために大法要を営んだが、その折自由党の総裁であった板垣退助が植えたという「自由の松」が2本境内にあった。

なお、中西悟玄は日本野鳥の会の創始者中西悟堂の伯父であり養父であった人。
2006.6.14
稲掛け
祇園寺を出て先に進み小学校に突き当たったところを右へ、次いで左へ小学校を回りこむように行くと野草園に入る。その手前に何枚かの田んぼがあり、刈り取りを終えたばかりの稲が稲掛けに掛けられていた。このような光景も最近では珍しくなった。
この辺りまで来ると武蔵野の面影がところどころ残っている。
2003.5.4
野草園を通り抜け、中央高速道の下をくぐり左へ上がっていく。民家や畑の中の道をくねくね行くと三鷹通りに出る。途中無人販売所があり。土地で採れた野菜などが1袋100円で置かれていた。

青渭神社
三鷹通りを右へ行くと少し先に青渭神社がある。「延喜式」神名帳に登載されている神社の三つある論社の一つだ。  青渭神社はその名の示すとおり水神社だ。ここ深大寺の青渭神社の主祭神は青渭大神(水神様)。祭神として水波能売大、青沼押比売命を祀る。神社境内の池に滾々と水が湧き出ていたことが名の起こりという。もう一つ稲城市にある青渭神社の祭神も青渭神。そして三つめの奥多摩の惣岳山の頂上にある青渭神社の祭神は大国主命だが、そのすぐ下に青井戸または井戸窪と呼ばれる窪地があり、清冽な水が湧き出している。

槻の老樹
社前にあるけやきの老木。調布市内随一の巨木で、市の天然記念物に指定されている。

神社の手前の道を入り、突き当りを左に行くと正面に水生植物園の入口がある。

水生植物園
神代植物公園の分園として平成8年に開園された。花菖蒲園や池、葦原などがあり、木道が付けられていて一周できる。

深大寺城址
水生植物園のすぐ隣の高台が都の旧跡、深大寺城址。北条記によると、天文6年(1537年)扇谷上杉朝定が北条氏康の北上を阻止するため修築し部下に守らせたが、氏康はここを通らず、直接川越城を攻め朝定を破ったため、わずか4ヶ月で廃城になったという。石垣と空堀の一部が残っている。

深大寺そば
水生植物園を出ると深大寺門前一帯にかけて20軒を超える蕎麦屋が並ぶ。この辺りでちょうどお昼頃。有名な深大寺そばを食べるのもいいだろう。

深大寺
深大寺の縁起によると、その昔、この地に長者がいて狩猟を好み鳥獣の殺生が絶えなかったという。独身で妻を求めていた。ある時虎という美女が現れ妻になるという。長者は喜んで迎えたが、この女房が長者に人間でさえ死をいとうのにましてや鳥獣においてをや、といって狩猟を止めさせたという。そして2人の間に1女が授かった。この娘が長じると福満童子が現れ2人は親しくなったという。父は怒って池の中の島に居を構えて娘を隔離した。童子は島に渡れず困っていたが、この時玄奘三蔵の故事を思い出し深沙大王に祈ったところ神亀が現れ島に渡
してくれたという。
両親これを見て感じ2人の仲を許した。後2人の間に男子が生まれ、長じて唐に渡り大乗法相を研修。帰国して天平5年(733年)深大寺を開基したとある。この僧が満功上人だ。寺の名は深沙大王の略。

金銅釈迦如来倚像(国重文)
東国では最も古い仏像。白鳳時代のもので、竜角寺とここにしかない。明治42年(1909年)に元三大師堂の壇下から発見されたという。
深大寺は最初法相宗だったが、後天台宗に改宗された。釈迦如来倚像は当初の本尊であったようだが、現在の本尊は阿弥陀如来である。

中西悟堂像
 境内には日本野鳥の会の創始者中西悟堂の胸像があった。中西悟堂は本名富嗣、金沢市に生まれるが、生後まもなく父母が死亡し、伯父悟玄の養子となる。16歳のとき深大寺で得度して僧籍に入った。悟堂は法名。

神代植物公園
深大寺の北側から出るとすぐに神代植物公園の深大寺門がある。23.2万uの広い園内には大温室やバラ園、山野草園などがあり、4500種10万株の植物が植えられている。

正門を出るとバス停があり、三鷹、吉祥寺、調布へそれぞれ出ることができる。




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