街歩き


武蔵国・府中を歩く


2010.5.2歩く

コ ー ス  徒歩2時間15分
京王線府中駅(1分)馬場大門けやき並木(10分)大国魂神社(10分)東京競馬場(20分)サントリー武蔵野ビール工場(7分)いこいの森(5分)府中市郷土の森博物館(35分)分倍河原古戦場跡(15分)高倉塚古墳(7分)新田義貞公之像(10分)高安寺(5分)高札場跡(10分)JR武蔵野線・南武線府中本町駅

府中は、7世紀の半ば律令制国家の下、武蔵の国の国府の置かれたところ。下って江戸時代には五街道の一つ甲州街道の宿場町として、そして今は東京競馬場のある街として、時代ごとにそれぞれの顔を持ち栄えてきたところ。そんな府中の歴史を訪ねた。

    

京王電鉄府中駅
 京王線新宿駅から急行で22分。府中へは他にJR南武線、武蔵野線で、府中本町駅へ行くことができる。  

馬場大門けやき並木と源義家像
 駅を出たところが大国魂神社への参道で、国指定天然記念物の馬場大門けやき並木が500mほどにわたって続く。

   けやき並木を南へ大国魂神社に向って進むと、中ほどに源義家の像がある。
 前九年の役(1051〜62年)で、奥州平定のために出陣する源頼義、義家親子が、大国魂神社に戦勝祈願し、同役を平定した康平5年(1062年)にお礼として欅の苗木1000本を寄進したのが始まりといわれている。
 その後、徳川家康が関が原の戦いの折に戦勝祈願をし、成就したお礼に馬場を寄進し、その土手に欅を植えたのがこの並木となっている。家康が馬場を寄進したのは、この辺りは軍馬の供給地となっていたからだろうといわれている。

 万葉の時代、赤駒を野に放っていたのもこのあたりかもしれない。今でも5月3〜5日に行われる関東3奇祭の一つに数えられる「くらやみ祭り」には「駒くらべ」がここで行われているのもその伝統か。
 また、神社のすぐ裏・南側に東京競馬場がある。万葉の時代から今に至るまで千数百年、一脈相通じるものがあるような気がする。
大国魂神社
 けやき並木から旧甲州街道を渡り、大国魂神社の境内に入ると正面に立派な本殿がある。縁起によると景行天皇41年の創建という古い神社で、大国魂神を祭神とする。
 その後武蔵国内の6社をここに勧請し、武蔵総社または六所宮と称した。これは国司が国内の6大社を巡拝するのが大変ということで便宜を図るためにとられた処置という。
 律令制下、全国に国府が置かれたが、武蔵国国府は神社の東隣に置かれていたことが発掘調査の結果分かった。

京所道
 神社から東へ鳥居を出る。この辺り、掘立柱の建物跡が数多く発掘されていて、国府のあった所とされている。
 ここは京所(きょうづ)といわれていた所で、ここに国府の写経所のような施設があったと伝えられており、経所といわれていたのが転じて京所となったのではないかといわれている。
 慶安の頃(1648〜52年)旧甲州街道が開通するまでは、この道が甲州への道として利用されていたらしい。  
東京競馬場
 京所道を東へ進み、信号の一つ手前の角を右に折れる。左に日吉神社を見て緩やかに下っていくと競馬場通りに出て、道路を渡った正面が東京競馬場。日本ダービー、天皇賞、オークスなどのレースが行われる中央競馬場。
 明治40年(1907)目黒区に目黒競馬場として開設されたが、昭和8年(1933)にここに移転した。競馬場内には、コンビニやカフェ、アミューズメント施設なども揃っており、カップルや家族連れで楽しんでいる人も多い。競馬場通りを左へ行ったところに競馬博物館がある。

墓標
 競馬場の前には慰霊塔があり、横にはかつて活躍したであろう名馬の墓標がある。それがどれ程のものか競馬に疎い私には全く分からない。この先にある競馬博物館に行けば分かるかもしれない。

サントリー武蔵野ビール工場
 競馬場通りを右へ競馬場に沿って行くと府中街道に出る。左に行き信号のところで右へ分かれる道に入り、中央高速とJR南武線を潜ると右手にビール工場がある。サントリーの最初のビール工場で、前日までに連絡しておくと無料で工場見学と試飲もできる。2人からで、所要時間は1時間ほど。  

いこいの森
 ビール工場の前を先に進み、市民健康センター入口の標識に従って右折する。
 ここは府中市の市民健康センターいこいの森で、すぐ右に交通遊園地を見て先に進むと総合体育館があり、他に野球場、サッカー場などの運動施設が整っている。
 この辺りの樹陰でお弁当を広げるのも良い。

府中市郷土の森博物館
 いこいの森を西へ通り抜けると隣接して郷土の森博物館がある。昭和62年に市制25周年を記念して開設されたもので、多摩川の河川敷を含めて13万uの広さの敷地内には、博物館本館の他、古民家園や武蔵野の自然を再現する植栽公園などがある。
 早春の蝋梅・梅から始まり、桜・紫陽花・萩・紅葉と1年を通じていろんな花が楽しめる。  

府中宿街並模型
 府中宿は、甲州街道の江戸から4つ目の宿場。本館2階には、幕末頃の府中宿の様子を1/200の模型で再現して展示している。左上から右下に通るのが甲州街道。中ほど赤い塀の見えるのが今もある高札場。左上の森が大国魂神社の境内で、その左上隅あたりが国衙のあったところ。当時の様子が偲ばれる。
 2階はこのほか、府中の歴史・文化・自然を紹介する展示室があり、1階ではプラネタリウムが観覧できる。

旧府中町役場
 園内にはいくつかの古建築が復元されている。これは大正10年(1921年)に建てられた旧府中町役場庁舎。昭和59年に解体され、61年にここに復元された。東京都の有形文化財に指定されている。
 他にも、旧府中尋常高等小学校・旧三岡家長屋門(いずれも都有形文化財)等見るべきものが多い。  
万葉歌碑
 赤駒を 山野にはかし 捕りかにて
   多摩の横山 かしゆか 遣らむ
 園内中ほどに万葉歌碑がある。昔、武蔵の国の防人は、ここ府中に集まって、ここから多摩川の対岸に横たわる丘陵を越えて相模に出、西へ向ったのであろう。馬を持つものは馬に乗って行っても良いことになっていたが、野に放していた馬を捕まえることができず、徒歩で横山を越えさせなければいけなくなってしまった。それを気遣った防人の妻の歌である。同じ歌の歌碑が八王子の真覚寺境内にもある。  

下河原緑道
 博物館を出たら左(西)へ向う。バス停留所の先で右へ入る。自転車用と歩行者用に分離された歩き良い道だ。
 途中新田川緑道が横切っているので、それを左に入る。  

新田川緑道
 やがて、かえで通りを横断し、左にしょうぶ池を見ながら進む。流れの右手は住宅地となっているが、樹木が多く気にならない静かな道。この一角だけを見ていると信州の別荘地に来たようだ。
 道は京王線を潜り、中央高速に沿って進むと、やがて分倍河原古戦場跡の碑が見えてくる。  

分倍河原古戦場碑
 元弘3年(1333年)5月に新田義貞勢と鎌倉幕府軍との激戦があったところ。
 新田義貞は鎌倉幕府を討つべく兵を挙げ、小手指ケ原、久米川と勝ち進んで南下したが、15日ここ分倍河原に陣を敷いた北条泰家率いる幕府軍に迎撃され敗走した。が、その夜足利尊氏の軍勢催促に応じた三浦義勝他関東勢が加わり、16日未明に反撃、幕府軍を急襲してこれを破った。そしてそのまま鎌倉を攻め、22日には幕府が滅亡した。

 古戦場跡の前の通りを北へ。中央高速を潜って真直ぐ行くと鎌倉街道に出る。これを渡って、光明院の塀に沿って東北方向へ入ると京王線・JR南武線の分倍河原駅に出る。

高倉塚古墳(市史跡)
 駅への途中、左の住宅街の一角に高倉塚古墳(案内板あり)があった。この辺りにこれまで25基あったことが確認されており、現在は4基のみ残されているとのこと。これまでの発掘調査で、銀象嵌大刀、土師器杯、直刀、鉄鏃等が出土しており、これらから見て6世紀前半頃の築造といわれている。

新田義貞公之像
 馬に乗った立派な像が分倍河原駅前の公園に建てられている。
 新田義貞は南北朝時代の武将。分倍河原の合戦で知られている。正安元年(1301年)〜延元3年・暦応元年(1338年)。
 初め北条方であったが、反幕に転じ鎌倉幕府を倒す。その後、鎌倉で反乱した足利尊氏と戦うが敗れ、後醍醐天皇の皇子恒良親王を擁して越前に逃れるが、福井・藤島城で敗死した。
 
高安寺
 分倍河原駅の東でJR南武線の踏切を渡り北へ向う。甲州街道に出たら右へ。右手に曹洞宗の高安寺がある。二層の立派な山門がある。
 縁起によると、暦応年間(1338〜42年)に足利尊氏が、武蔵国の安国寺とするため見性寺というお寺を龍門山高安護国禅寺として再興し、臨済宗のお寺としたという。一時は末寺75を持つ広大なお寺となったが、南北朝から室町にかけてのしばしばの戦で、ここに鎌倉方の本陣が置かれたために衰退したという。慶長年間(1596〜1615年)に青梅の海禅寺第7世関州徳光が再興し曹洞宗のお寺として現在に至っている。

府中宿高札場跡
 甲州街道に戻り、東へ進むと交差点の角に赤い塀がある。高札場のあったところで、札の辻といって、府中宿の中心であったところ。本陣はここから少し西寄りにあった。府中宿には本陣1、脇本陣2、旅籠29軒があり、甲州街道では八王子についで大きかったという。
 参勤交代の折、甲州街道を使っていたのは高遠藩・飯田藩・諏訪藩だけだったそうだ。

府中市役所
 高札場跡から甲州街道をそのまま真直ぐ進めば、スタート地点のけやき並木から府中駅に戻るが、ここを右折して南へ,左に府中市役所を見て行くと、JR南武線・武蔵野線の府中本町駅に出る。

関東三大奇祭の一つといわれる「くらやみ祭り」の前日だったためか店先ではこんなのも。

本町駅前商店街
 市役所の先を右に入る。府中駅前に出る商店街で、競馬のある日は特に賑わうようだ。祝杯? 自棄酒?

JR南武線、・武蔵野線府中本町駅
 ここから立川、川崎方面へは南武線が、西国分寺、浦和方面へは武蔵野線が便利。
 なお、東京(新宿)方面へは高札場跡からそのまま甲州街道を東へ進み、けやき並木から府中駅に出るのが便利。      

発掘調査現場
 府中は武蔵国の国府が置かれていたところ。古い遺跡が多い。府中本町駅東では、開発計画でもあるのだろうか、発掘調査が行われていた。


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