里山歩き


日光杉並木と今市宿を歩く


2012.9.4歩く

コ ー ス  徒歩約2時間40分
東武下今市駅(6分)報徳二宮神社(4分)如来寺(13分)杉並木入口(10分)杉並木公園(10分)報徳庵(35分)だいや公園西端(30分)同東端(28分)上今市駅(2分)滝尾神社(4分)市縁ひろば(10分)追分地蔵尊(8分)東武下今市駅

 日光街道、例幣使街道、会津西街道と3街道沿いに並ぶ樹齢380年を超える杉。1万3000本の壮観な姿は他に例がなく、特別史跡、特別天然記念物に指定されている。今市はまた二宮尊徳終焉の地でもある。
 二宮尊徳の遺徳を偲び、杉並木街道を歩いた後はだいや川公園に遊び、そして最後に宿場町今市の面影を訪ねるというちょっと欲張ったコースを歩いた。  



東武下今市駅
 下今市へは浅草から有料特急で1時間36分。快速だと1時間54分。
 上野からは、JR常磐線で北千住へ。ここで東武線に乗り換えればほぼ同じ時間で下今市に着く。

 駅を出てすぐ右へ。案内板に従って住宅地の中の道を行く。
 突き当たったところが報徳二宮神社で、左に折れてすぐ右手から境内に入る。  

報徳二宮神社
 ここは安政3年(1856)、二宮尊徳が没したところ。神社は、明治30年(1897)尊徳の遺徳をたたえて尊徳を祭神として創建された。

二宮金次郎像
 二宮尊徳(通称金次郎)は天明7年(1787)に小田原の裕福な農家に生まれたが、幼少の頃家は災害で没落、両親とも死別する。その後苦労しながら勉学に励み家を再興する。その姿を現したのがこの像で、以前は学童の鑑としてどこの小学校にもあったものだ。

 尊徳はその後小田原藩に登用され、のち幕臣となって、小田原藩をはじめ各藩、幕領、旗本領や個別の村・家などで、「報徳仕法」と呼ばれる復興事業を指導した。
 ここ日光でも用水路二宮掘りを開鑿するなどの事業を行ってきたが、途中で没し、長男弥太郎に引き継がれたが、幕府の崩壊により中断されたという。

二宮尊徳の墓
 社殿の裏側にある円墳。墓前には「誠明院功譽報徳中正居士」と法名を刻んだ墓石が建っている。また、社殿の東側には報徳文庫があり、尊徳の遺品や仕法書写本などを展示している。

如来寺
 二宮神社の境内を出て南の通りを西へしばらく行くと如来寺。文明年間(1469〜87)に曉譽の開山による浄土宗のお寺。安政3年、二宮尊徳の葬儀がここで営まれた。
 また、徳川3代将軍家光が日光社参の折、4度ここを宿所にしたという。

 東武線を挟んだ北側の墓地には、戊辰戦争で戦死した官軍(土佐・佐賀藩)の兵士24名の墓がある。
 今市七福神の弁財天。金運財運、芸能富有のご利益あり。

 如来寺の前の道をしばらく西へ進む。

日光杉並木
 左に二宮尊徳の長男弥太郎が、地元民への貸付金の利息で創設・維持したという沢蔵司稲荷の跡を見るとすぐ上今市の駅が見える。
 その手前を左に折れるとすぐ杉並木がありここを進む。

 杉並木は、日光道中、日光例幣使街道、会津西街道沿いにあり、東照宮造営奉行の松平正綱によって寄進されたもので、当初は5万本を数えたという。
 第二次大戦後、道路の拡張や舗装でかなり痛められ、今では13000本ほどまで減ってしまったが、近年は杉のオーナー制度が設けられ、企業や個人に1本1000万円でオーナーになってもらい、その基金で保護事業を行っている。
 現在樹齢380年を超える杉が38kmにわたって並び、特別史跡と特別天然記念物に指定されている。  

杉並木公園
 杉並木をしばらく進むと、右手東武日光線との間に杉並木公園がある。
 ここは杉並木街道の保護と地域の文化を伝承するために造られた公園とのこと。線路沿いにこの地方の特産品である杉線香製造に使われていた水車を始め、国内外の水車14基が並んでいる。

大水車
 これは直径が10m、幅80cmの大水車。かつて15mのものが京都にあったといわれているが、今ではこれが国内最大の水車だろうか。

報徳庵
 公園の西端には江戸時代、代々名主をつとめた旧家を移築した名主屋敷と二宮尊徳の報徳仕法によって建てられた農家を復元した建物報徳庵がある。報徳庵ではそばも味わえる。

砲弾討込杉
 公園を出ると再び杉並木街道を行く。途中右手に砲弾打込杉というのがある。この辺り、明治戊辰戦争のあった折、日光に拠る幕府軍と追撃してきた官軍との間で前哨戦のあったところ。杉の凹んだところが砲弾の当たったところという。  

薬師堂
 右手に薬師堂を見るとすぐ先で杉並木と分かれ、右へ東武線の線路を潜る。線路の北側に出るとすぐ右手に日光だいや川公園がある。  

日光だいや川公園
 ここは日光の自然と歴史・文化へのいざないを基本テーマに大谷川の右岸沿いに造成された広大な県営の公園。園内を楽しみながら今市方向へ戻るように進む。
 最初に現われるのが農業体験エリアで、お花畑が広がる。このときはヒャクニチソウとそばの花が見頃だった。

花と蝶

人・情報交流ゾーン
 広々とした芝生の広場はそよ風広場。晴れていればここから日光連山の展望が広がる。このゾーンでは、フィールドアスレチック、グラウンドゴルフ、パークゴルフ、ディスクゴルフなどの施設があり、スポーツを通して人の交流を深める場となっている。

やすらぎの池
 池畔にある管理事務所は緑の相談所にもなっている。
 このほか園内にはレストランやオートキャンプ場、情報発信センター、イベント広場などの施設もある。

上今市駅
 公園の東端から出て、外柵に沿って細い道を線路に向うとガードを潜るようになる。これを潜る抜けると元の杉並木に出る。杉並木を行っても良いが、再び杉並木公園の中を並行して戻るように行くとやがて上今市駅に着く。  

杉並木公園ギャラリー
 上今市駅の駅舎に併設して杉並木公園ギャラリーがある。
 市民の絵の愛好家グループ、3グループの協同展覧会が開かれていた。受付の女性2人は、こうした作品の発表の場があるということと同時に、来場者との交流の場になるということでとても素晴らしいと話していた。

滝尾神社
 上今市駅の前の道を右へ行くと初めに歩いた杉並木の入口に戻る。その先の交差点を渡ると角に滝尾神社がある。
 勝道上人が日光山内に創建した滝尾神社の里宮として同時に祀ったものと伝えており、祭神は同じ田心姫命。
 戊辰戦争の折り本殿はじめ、記録などが戦火で焼失したため創建年代など詳しいことは分からないという。
 境内には事代主命を祭神とする市神神社がある。元上町通りの中央にあった神社で、今市宿の六斎市の市神であり、今市の名の由来となった神社。
 今市七福神の大黒天。商売繁盛、五穀豊穣、縁結びのご利益あり。

かざぐるま
 通常神社に願掛けをするときは絵馬にその願いを書くが、ここはかざぐるまに書くという珍しいもの。かざぐるまに願い事を書いて奉納すると、すべて良い方向に廻るとか。願い事によって色分けされており、いろいろな色がくるくる廻っているのが美しい。

市縁ひろば
 滝尾神社の前の日光街道を東に進む。左側に市縁ひろばがある。
 今市の地名の由来となった市は毎月1・6・11・16・21・26日に開かれていた。それに因んで町の中央に設けられたのがこの「市縁ひろば」。さまざまなイベントが行われる他、観光案内所や物産店、食事処などもあり一休みしていきたいところ。
 この日光街道沿いには名物のたまり漬け、ろばた漬けの店が並ぶので、お土産に買って帰るのもよい。

追分地蔵尊
 日光街道をさらに進むと例幣使街道が分かれる。この分岐点にあるのが追分地蔵尊。2m余りの石の座地蔵。
 この地蔵尊、もとは含満ガ淵に弘法大師が建立したものが、台風による洪水で流され、近くの大谷川で発見されたのをこの地に安置したという伝説がある。
 今市七福神の恵比寿尊。商売繁盛、五業繁栄のご利益あり。

 追分地蔵の前の信号を渡り、北への道を入って行くと下今市の駅は近い。




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