街歩き


歴史のまち足利を訪ねて


2006.03.12歩く

コ ー ス  徒歩3時間45分
東武足利市駅(15分)足利まちなか遊学館(5分)太平記館(5分)足利学校(10分)鑁阿寺(20分)心通院(25分)法楽寺(20分)織姫公園(20分)長林寺(30分)常念寺(15分)足利公園(10分)草雲美術館(50分)足利市駅

坂東の京都と呼ばれている「歴史のまち足利」を歩いてきました。足利は、室町幕府を開いた足利氏の発祥地であるだけに、足利氏ゆかりの名勝・旧跡が沢山あります。それを代表するのが足利学校と鑁阿寺でしょう。
例によってウォーキングを兼ねて、それらの史跡に足利七福神巡りを加えて、欲張って歩いて見ましたが、とても日帰りで歩けるものではありません。最後の草雲美術館は閉館5分前で、入館を諦めざるを得ませんでした。
この他にも、伊万里・柿右衛門・鍋島の世界的コレクションのある「栗田美術館」、日本一の藤といわれる「あしかがフラワーパーク」などがあり、再度訪れたいところです。

   

東武・足利市駅
スタートとなる足利市駅へは、浅草駅から特急で1時間12分。 北千住駅からは1時間2分。準急なら浅草から1時間40分。

改札口を出ると左(北)へ、駅前ロータリーから正面の渡良瀬川の堤防に上がる。

渡良瀬川
河川敷は園地としてきれいに整備されていた。
写真の中橋を渡り、JR両毛線を越えて直進すると右に市立美術館を見て中央通り(県道67号線)に出る。

通りを渡って右へ。足利学校へ通じる道の角に足利まちなか遊学館がある。

案内標識
要所要所に立派な案内標識がある。孔子のことば(論語)が添えられている。


足利まちなか遊学館
織物機械や織物、織物に関する資料を展示し、織物の町として栄えた足利を紹介している。 観光案内所もあるので、ここで資料をもらっていこう。
この先の横断地下道のある交差点を左へ。先にある歩道橋を渡ると道の駅太平記館。市の無料駐車場があり、ここにも案内資料が揃っている。

善徳寺
太平記館と通りを挟んで北側にある。応安元年(1368年)足利尊氏の開基で創建された。尊氏の衣冠束帯姿の木像と位牌が安置されている。手入れの行き届いたきれいなお寺だ。   

足利学校
先の歩道橋を渡り返すが、歩道橋の上から足利学校の全容が見渡せる。
日本最古の学校として知られている。足利義兼が子弟を教育するために設けた学問所が起源とする説が有力だが、奈良時代、平安時代創建説もある。
本格的な学校としての形態を整えたのは、永享11年(1439年)関東管領上杉憲実が再興し、校則や図書閲覧規則などを定め、初代庠主(校長)に円覚寺の快元を迎えてからのことである。

学校門
足利学校のシンボル。入徳門、学校門、杏壇門の3つの門を経て入学するが、共に寛文8年(1668年)の建立。
足利学校は、最盛期には全国から3000人にも及ぶ学徒が集まったといい、フランシスコ・ザビエルも「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と紹介しているが、明治維新と共にその役割も終え、明治5年廃校となった。   

孔子坐像
杏壇門を入ったところが孔子廟。寛文8年の創建。中央に孔子坐像を安置する。孔子の坐像は珍しいといわれる。
足利学校は、一説に平安時代、小野篁創建説があるところから、孔子像の隣に小野篁像を安置している。  

北庭園
北庭園と南庭園があり、共に築山泉水式庭園。方丈、庫裡、書院などと共に平成2年に復元された。  

鑁阿寺
足利学校入徳門を出て右へ右へ石畳道を回り込むと正面に仁王門が見えてくる。 四方を堀で囲まれたここは、源姓足利氏の居館址である。
足利氏の起こりは、源義家の3男義国の子の義康が足利氏を称したのが始まり。北条氏を倒して室町幕府を開いた尊氏はその8代目。  

大御堂(本堂・国重文)
建久7年(1196年)、義康の子義兼がここに念仏堂を建立したのが鑁阿寺の起源とされている。その後義兼の子義氏が天福2年(1234年)に本堂(大日如来大殿)を建立し、寺としての形態を整えていった。
弘安10年(1287年)、落雷により本堂が焼失。正安元年(1299年)に再建されたのが現在の本堂。本尊は大日如来。  

境内には他に、鐘楼(国重文)、多宝塔・楼門・東門・西門(いずれも県指定文化財)などの堂塔が並ぶ。  
じけんち市
鑁阿寺の北門を出ると奥の院通り。ここでは賑やかに市が開かれていた。「じけんち市」という。「じけんち」とはどういう意味だろうと店を出しているおばさんに聞いてみたら、答えは「さアー、どーいう意味だろうね。わかんない、ハッハッハツ」だった。
通りの入り口に由来が書かれていた。それによると、江戸時代鑁阿寺を中心に町並みが形成され、これを「寺家」と呼んでいた。この寺家の名を取り入れた市ということだそうだ。毎月第2日曜日に開かれる。1、2月はお休みということだから今年はこの日が最初の市ということだ。  

心通院
奥の院通りを真直ぐ北へ15分ほど行き、足利高校の手前にある信号機のところで左折すると正面に見える。本堂は珍しい六角形のお堂。永禄9年(1566年)足利長尾氏5代目政長が両親の菩提のために創建したと伝える。
七福神は寿老人を祀る。  

なでぼとけ
本堂の横手にあるなでぼとけ。 自分の悪いところと同じ場所をなでると良くなるという。
誰の願いも同じなのか、特に頭が良く光っていたように思う。

元の信号のところに戻り一つ手前の通りを南西方向に入る。民家を挟んで逆川(用水)が流れる。途中弁才天を祀る明石弁天を右に見て20分ほどで右手に法楽寺が見える。  

法楽寺
建長元年(1249年)、足利氏3代目義氏の創建と伝える。本尊は義氏が夢のお告げにより池の底から引き上げたと伝える阿弥陀如来像。本堂は、後京都銀閣寺を模して建てられた。  

織姫公園
法楽時の手前の車道を山手の方に登っていく。織姫山の山腹を巻くようにゆるい登りを行くと途中左に足利短期大学の入り口を見て織姫公園に入る。ここを右へ行けば織姫公園。左すれば織姫神社裏の駐車場。  

ホワイトパレス
織姫公園の一角にあるレストラン。1階には無料の休憩施設もあり、飲物の自動販売機やテーブルなどの設備がある。  


レストランといっても、メニューはビーフカレーとスパゲティーと飲物くらい。ただ、ロケーションは良い。足利市内を見下ろしながらゆったりした気分で食事が出来る。  

機神山山頂古墳
ホワイトパレスの前の丘は、全長36メートルの前方後円墳。石室内の被葬遺体と数々の副葬品、封土に並べられた埴輪、それにこのような頂上に造られたことなどからみて、この辺りの支配者の墓だったとみられている。古墳は6世紀代のもの。  

織姫神社
織姫公園の南端にある。古墳の前の階段を下りて、駐車場を通り抜けると神社正面に出る。足利は織物の町として栄えたが、その織物の神、八千々姫命・天御鉾命を祀る社として、明治12年(1879年)に創建された。その後火災に遭い焼失。現在の社は昭和12年に再建されたもの。  

足利公園古墳群
織姫神社の急な石段を降りると再び逆川に出る。ここを右へ行き、高徳寺の先で右へ入っていくと長林寺(福禄寿)。さらに先へ行くと西宮神社(恵比寿)。元に戻って逆川を先に進むと県道67号線に出る。その右手に常念寺(毘沙門天)がある。
常念寺の前の信号機の無い横断歩道を渡って真直ぐ進むと足利公園に入っていく。ここにも7世紀頃の10基の古墳群がある。  

足利公園
明治16年(1883年)に開設された公園で、当時から桜、つつじの名所として知られていた。すぐ南をJR両毛線が走っている。この鉄道建設のときに上記の古墳群が発見されたという。  

草雲美術館
公園の南端に幕末の勤皇画家、田崎草雲の遺作、遺品を展示する草雲美術館がある。隣接して晩年に住んだアトリエ兼住居の白石山房がある。
草雲は文化12年(1815年)、江戸神保町の足利藩屋敷で生まれ、長じて足利藩の絵師となった。廃校となった足利学校や書物をそのまま今の姿に残すために貢献したという。  

公園を出て再び逆川沿いに戻り、福厳寺(布袋尊)を経て67号線に出る。ここを右(東)へ進み、今朝方の中橋を渡って駅に戻る。  

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