六 義 園



  六義園は、元加賀藩の下屋敷を、川越城主で5代将軍綱吉の側用人であった柳沢吉保が幕府から拝領したところ。吉保はここに元禄15(1702)年「回遊式築山泉水」の庭園を築造した。

 造園に当たっては、和歌に因んだ88の景観「八十八境」を各所に配して造られた。八十八境の中には和歌山県和歌の浦周辺の景観がいくつか取り入れられているのが特徴だ。それぞれの場所には石柱が建てられそれを示していたが、今は32カ所のみ確認されているという。その場所を確認しながら散策するのもこの庭園の楽しみの一つ。

 六義園の名も和歌に因んだもので、中国の詩の分類に倣って作られた、古今和歌集の仮名序にある和歌の分類の六体によるもの。  古今和歌集、仮名序。「そもそも、歌のさま、六つなり。唐の歌にもかくぞあるべき。その六くさの一つには、そへ歌。二つには、かぞへ歌。三つには、なずらへ歌。四つには、たとへ歌。五つには、ただごと歌。六つには、いはひ歌」。唐の詩の分類六義の「風・賦・比・興・雅・頌」に相当する。

 庭園の広さは約3万坪。吉保が自ら手掛けた庭園も、吉保死後は荒廃の一途をたどったという。明治維新後は岩崎弥太郎の別邸となり、昭和13年に東京市に寄付され公開されるようになった。昭和28年に国の特別名勝に指定された。




中の島(妹山・背山)
 大泉水に浮かぶ中の島には妹山・背山の築山がある。妹は女性、背は男性の古語。この中の島は男女の関係を表している。  




蓬莱島
 道教による不老長生の神仙郷にある三つの島(蓬莱、瀛州、方丈)の一つ蓬莱島をイメージして造られた。作庭当初はなかったが、岩崎家の所有となって後造られたという。  




水分石
   日本庭園で、滝口の石組で水を左右に分ける石のことを水分石と言っている。ここが六義園全体の水源となっている。かつては千川上水を利用していたが、今は井戸水を汲み上げている。
   




滝見茶屋
 水分石のある滝の脇に建つ東屋。  




藤代峠
 園内の最高地がここ藤代峠。紀州海南市にある藤白峠をモデルにして造られたもの。
 藤白峠は有間皇子が悲運の最期を遂げたところ。斉明天皇や中大兄皇子が紀の湯に行幸の留守に謀反を企んだとして捕えられ、紀の湯に連行されて訊問を受け、帰路藤白峠で絞殺された。有間皇子が「天と赤兄のみが知る」と言ったように、これは蘇我赤兄に嵌められたと言われている。
 藤代峠の頂上に立つと、六義園全体を見渡すことができる。  




渡月橋
 2枚の大きな石が架けられた橋。
「和歌のうら 葦辺の鶴の 鳴く声に 夜わたる月の 影ぞさびしき」の歌から名付けられたという。  


所在地  東京都文京本駒込6−16−3
アクセス JR山手線駒込から 徒歩8分
入園料  300円 65歳以上150円
      無料公開日 5月4日(みどりの日)、10月1日(都民の日)
休園日  年末年始(12/29〜1/1)
開園時間 9時〜17時(入園は16時30分まで)




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