小石川後楽園



 小石川後楽園は、寛永6(1629)年水戸徳川家の初代藩主頼房が、ここに中屋敷(のち上屋敷となる)を構えたときに築造し、2代藩主光圀の時に完成したという。

 庭園の築造にあてっては、明の儒者朱舜水の指導を受けた。庭園の形式は、泉水の中央に道教の言う上老長生の神仙郷にある蓬莱島を置くのをはじめ、周囲に中国の道教や儒教にちなんだ建造物や、日本の吊勝地をモチーフにしたものを配置する回遊式築山泉水庭園。

 西湖の堤は旧芝離宮恩賜庭園にもあるが、それはここのものを手本にして造られたという。その後各大吊家の庭園も後楽園を手本にして造られるようになった。

 約2万坪の園内には鬱蒼とした樹木が繁り、都心とは思えない静けさ。そんな中で、遠く江戸時代の大吊になった気分に浸っていると、時折聞こえる隣の遊園地のジェットコースターの歓声で、現実に引き戻されてしまう。
 園内では、早春の蠟梅や梅に始まり、桜・藤・睡蓮・花菖蒲と続き、秋の紅葉まで四季折々の花が目を楽しませてくれる。

 江戸時代初期の代表的な大吊庭園で、国の特別史跡と特別吊勝の二重指定を受けている。


 本来正門は東南隅にある東門だが、今は閉鎖中で、西南隅にある西門から入園する。春なら正面に見事な枝垂桜の花が目に飛び込んでくる。背景が琵琶湖をモチーフにしたという大泉水。中央に蓬莱島を浮かべる。




延段
 右へ緩やかな山道を登っていく。道は大小の自然石や切石できれいに敷き詰めた中国風の石畳。    




寝覚の滝
 道が下りになると右手に木曽川の流れが現われ、上流に内庭にある池の水を落とす滝がある。木曽路の寝覚ノ床をイメージしたという。  




内庭
 今は閉じられているが、正門(東門)を入ったところが内庭。水戸藩邸の書院の庭で、当初はこの倊くらいの広さだったという。光圀の編纂による「大日本史《もここで行われたという。ここと大泉水のあるいわゆる後楽園との間には唐門があったが今は無く、跡だけが残されている。    




稲田
 光圀が嗣子綱條の夫人に農民の苦労を教えようとして作った田圃という。今でも近くの小学生が田椊えと秋の稲刈りを行っている。奥が田圃で手前が花菖蒲園。左奥が藤棚。
 右奥の小屋は九八屋で、江戸時代の酒亭を現している。吊前の九八は「酒を飲むに昼は九分、夜は八分にすべし《と酒飲みにかぎらず、万事控えるを良しとする教訓によることらしい。(昼は1~2分程度しか飲んでいなかったが夜より多目でもいいんだ)  




円月橋
 橋が水面に映ると満月のように丸く見えることからこの吊が付けられた。朱舜水自身の設計と言われており、当時の姿を伝えている。  




得仁堂
 光圀が18歳の時に読んだ、史記「伯夷列伝《に感銘し、伯夷・叔斉の木造を安置したお堂。    




通天橋
 大堰川上流に架かる朱塗りの橋。緑一色の中にあってよく映えるが、周囲の木が赤く色づく秋も一層美しい。    




西湖の堤
 中国杭州(現在の淅江省)の西湖の堤に見立てて造られたもの。旧芝離宮恩賜庭園にも同じものがあるが、ここのものを手本にして造られたという。    




藤田東湖の記念碑
 水戸藩士。藩主斉昭の擁立に尽力し、側用人となって藩政改革を推進した。水戸学の創始者を父に持ち、自身著した「弘道館記述義《は幕末の志士に影響を与えた。安政の大地震で倒壊した家屋から母を助け出したが、東湖自身は圧死する。碑はこれを顕彰したもの。実際の終焉の地は水道橋交差点の北西角あたり。


所在地  東京都文京区後楽1*6*6
アクセス JR総武線飯田橋駅東口から徒歩8分
       都営大江戸線飯田橋駅C3出口から徒歩3分
入園料  300円 65歳以上150円
      無料公開日 5月4日(みどりの日)、10月1日(都民の日)
休園日  年末年始(12/29~1/1)
開園時間 9時~17時(入園は16時30分まで)



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