日比谷公園



 日比谷公園は幕末の頃松平肥前守等旧大名屋敷のあったところで、明治に入り4(1871)年から21年までは陸軍の練兵場として使われていた。
 その後都市計画により公園として整備されることになり、本多静六らの設計により造園工事が進められ、明治36(1903)年6月1日日本最初の西洋式公園として開園した。

 周りに高層ビルが建ち並ぶ中にあって、緑豊かな日比谷公園はまさに都会のオアシス。公園の面積はおよそ16万u。その中に第1・2花壇、心字池、雲形池、日比谷公会堂、大・小音楽堂などの施設が点在している。
 園内にある140種3000本を超える樹木や、1年を通して咲く色とりどりの花は、公園を訪れる人々の目を楽しませ、憩いの場となっている。

 園内には米国人有志から贈られた自由の鐘の複製品、昭和13年イタリアから東京市に寄贈されたローマの牝狼の像、南極の石、北極航路開設記念碑、自由の女神、市ヶ谷御門の石垣にあったという烏帽子岩などの記念物が随所に置かれている。これらを捜し歩き、由緒を知るのも日比谷公園の楽しみの一つかもしれない。

 公園では1年を通していろんな大会やイベントが行われている。このため人も多く集まり、騒々しいと感じる時もあるかもしれない。

 上の写真は雲形池の紅葉。(2016.11.13撮)




第2花壇(バラ園)
 公園の中心部にあり、この先に大噴水、その奥に小音楽堂がある。ここでは1年を通して様々なイベントが行われている。手前の時計はソーラー時計。    




日比谷公会堂
 市政会館に併設する公会堂として1929年に建てられた。鉄筋コンクリート造4階建、 定員2,074名で、当初は東京で唯一のコンサートホールとしてオーケストラの演奏会やリサイタルなども多く開かれていたが、その後他に新しい施設が次々と出来たため、演奏会はほとんど開催されなくなった。

 戦前から演説会・講演会・大会などが数多く行なわれてきた。昭和35年、立会演説会において日本社会党委員長の浅沼稲次郎が右翼少年・山口二矢に暗殺されたのもこの壇上であった。

 施設の老朽化及び耐震化工事のため、2016年4月より休館中。再開は未定とのこと。   




かもめの噴水
   西幸門を入ったかもめの広場にある噴水。かもめの乱舞を表現した彫刻を真中に置き、周りを花で飾った美しい噴水。園内にはこのほか、鶴、亀、ペリカンと言ったユニークな噴水もあり、これらを見て歩くのも楽しい。
 噴水の奥が県木の森。各県から寄せられた木が1本ずつ植えられている。  




ツルの噴水
 これもその噴水の一つ。雲形池にある。明治38年津田信夫、岡崎雪声両氏の制作によるもので、公園などの装飾用噴水としては、日本で3番目に古いもの。ちなみに1番目は長崎の諏訪神社、2番目は大阪の箕面公園とか。
 当初は鶴も台座も銅製であったが、戦時中の供出により台座は石造りに替えられた。    




松本楼と首賭けイチョウ
 明治36(1903)年の日比谷公園開園と同時にオープンした老舗のレストラン。大正12(1923)年の関東大震災と昭和46年の沖縄返還協定反対デモ隊の投げた火炎瓶により2度焼失したがいずれも再興。特に2度目の時は全国から熱い再興の願いが寄せられたという。店側ではこれに感謝の意を表すため毎年9月25日に10円カレーを振舞うことになったという。

 右手のイチョウの大木は、日比谷公園の設計者である本多静六博士が、造園時に現在の日比谷交差点にあったイチョウの木を移植したもの。移植にあたり自分の首を賭けてもを成功させてみせると言ったことから首賭けイチョウと言われるようになったという。    




自由の鐘
 健康広場の小山の上に建っている。1776年アメリカの独立宣言に際し、その喜びを告げるために鳴らされたという自由の鐘。この自由の象徴である鐘の複製品がアメリカ匿名有志によって造られ、連合軍総司令官リッジウェイを通じて日本国民に贈られてきた。リッジウェイはこれを日本新聞協会に寄贈。新聞協会ではここに塔を建造して東京都に寄贈した。  




ルーパロマーナ(ローマの牝狼)
 現地案内板より
 「この彫像は、昭和13年にイタリアから東京市に寄贈されたもので、ローマ建国の大業を成し遂げたロムルス、レムス兄弟の有名な伝説に基づいた像です。
 幼い兄弟は、祖父を殺し王位を奪ったアムリウスによってチベル河に流されましたが、忽然と現れた一匹の牝狼に助けられ、その乳を飲んで成長し、成人した兄弟は祖父の仇を討ちローマを統一したと言われています。」    




石貨
 これは南太平洋ヤップ島(現ミクロネシア連邦)で使われていたという石貨。大正14年にヤップ島支庁長から寄贈されたもの。
 石貨は小は直径6cm位から、大きいもので直径3mに達するものまであり、その価値は大きさ、滑らかな表面、形の良し悪し、運び良さなどで決められていたらしい。
 この石貨は直径1.35m、短径1.00m。中央の穴に丸太を差しこんでかついでいた。しかし実際には日常貨幣として使われるのではなく、冠婚葬祭時に贈られる儀礼的贈答品として使われていたようである。

 園内にはこの他にも南極の石、北極航路開設記念碑、自由の女神、市ヶ谷御門の石垣にあったという烏帽子岩などの記念物が随所に置かれている。これらを捜し歩き、由緒を知るのも日比谷公園の楽しみの一つかもしれない。  




旧日比谷公園事務所
 日比谷公園の管理事務所として、明治43年11月に竣工した建物。東京市の技師福田重義が設計したバンガロー風の瀟洒な建築物である。昭和51年に公園資料館として使用するため内部を改造しているが、関東大震災や戦災の被害も受けず、明治期の数少ない近代洋風建築として、都の有形文化財に指定されている。
 現在は結婚式場として利用されている。


 


心字池
 公園の東南隅にある。江戸城の一角で日比谷見附のあったところ。外堀に続く堀の一部を心字池として活かしている。西洋式公園の中にあって、雲形池と共に日本庭園の雰囲気を味わえるところとなっている。




堀の石垣の上から眺めた心字池。




日比谷見附跡
 ここは江戸城の日比谷見附のあったところ。この辺りに仙台藩の外桜田上屋敷があった。仙台藩祖伊達政宗は、寛永13(1636)年5月、この地で70年の生涯を閉じた。


所在地  東京都千代田区日比谷公園1−6
アクセス JR有楽町駅から徒歩10分
       東京メトロ千代田線・日比谷線・都営三田線日比谷駅からすぐ
     東京メトロ千代田線・丸ノ内線霞ヶ関駅からすぐ



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