里山歩き


山の辺の道


2007.01.27歩く

コ ー ス  徒歩4時間
近鉄・JR天理駅(30分)石上神宮(15分)内山永久寺跡(30分)夜都伎神社(25分)萱生環濠集落(10分)衾田陵(25分)長岳寺(15分)崇神天皇陵(30分)相撲神社(25分)桧原神社(5分)玄賓庵(20分)大神神社(10分)JR三輪駅

7世紀の頃から大和盆地には南北に、上ッ道、中ッ道、下ッ道の3本の道路が通じていた。これは藤原京と平城京を結ぶ道で、日本最古の道といわれている。中ッ道、下ッ道は今判然としないが、上ッ道は山の辺の道として整備され、多くのハイカーに歩かれている。
沿道上には由緒ある古社寺や3〜7世紀に掛けての天皇陵他の古墳も多く、ところどころに建てられた万葉歌碑とともに訪ね古代のロマンに浸るのも良いだろう。
1月というのにぽかぽか陽気の1日、山の辺の道の南半分を歩いてみた。歩く時間は正味4時間だが、見学を含めると1日掛けても足りないくらいだった。


近鉄・JR天理駅
スタートとなる天理駅へは、近鉄電車で大阪難波から急行(西大寺乗換)で1時間。京都から急行で1時間。
JRでは京都から快速(奈良乗換)で70分。大阪難波から快速(奈良乗換)で1時間。


駅前商店街
山の辺の道南半分のスタートとなる石上神宮へはアーケードのある駅前商店街を行く。
全国から集まる信者を目当てのお店が延々と天理教教会本部のあるところまで続く。

天理教教会本部
天理教の聖地。本殿は入母屋作りで1万4000平米もの広さがある。全国から多くの信者が集まるだけに、すべての施設が大きく広い。

教会本部を左に見てなおも進むと、石上神宮前のバス停のある交差点に着く。ここを右折してしばらく行くと左に神社の参道がある。

石上神宮
武門の棟梁である物部氏の氏神として、また伊勢神宮と並ぶ最古の神宮として古代史上重要な位置にある。
主祭神は布都御魂大神(神武天皇東征の折偉功を立てた霊剣平国之剣)、布留御魂大神、布都斯御魂大神を祀る。
興福寺との争いも絶えなかったという。また戦国時代には信長勢に破却されたが明治以降復興、大正2年に現在の本殿が建てられた。

万葉歌碑
山の辺の道の沿道には数々の万葉歌碑が建てられている。これは石上神宮のすぐ南にある外苑公園に建てられていた作者不詳の歌。
 石上 布留の神杉 神びにし
   我やさらさら 恋にあひにける
            (10−1927)
石上の社の年ふりて神々しい神杉のように、年老いた私が、いまさら思いもかけず恋にとりつかれてしまったよ。いいですねー。願望。

みちしるべ
山の辺の道は東海自然歩道の一部にもなっている。コース上の要所要所にこのような指導標が完備されており、誰でも迷わず歩くことが出来る。

永久寺跡
国道25号を潜って先に進むと行く手に本堂池が見えてきた。
この辺り一帯永久寺のあった所。永久寺は、永久2年(1114年)鳥羽天皇の勅願で亮恵上人の開基により建てられたと伝えられている。最盛期には50を超える堂塔が建ち並び荘厳を極めていたが、その後衰え、明治の廃仏毀釈によりすべて失われて廃寺となった。
今は本堂前にあったと思われる池を残すのみ。本堂はこの池の東側。西側には 後醍醐帝の萱御所跡がある。

芭蕉句碑
本堂池の周囲には桜の木が多く、花期には素晴らしいなと思った。そんな様子を歌った松尾芭蕉の句碑が池の畔にあった。

  うち山やとざましらずの花ざかり 宗房

今、内山永久寺の桜は見事なまでに満開だが、これは土地の人は知っているものの、よその人(外様)は知るよしも無い、という意味。
これは芭蕉が23・4歳頃までに詠んだ句といわれている。「宗房」は出生地の伊賀上野にいた頃の「号」。

夜都伎神社
本堂池から山間の緩やかな道を登っていく。小さな尾根を乗越し右手に観光農園を見ながら道標に従って進み、乙木町に入るとすぐに夜都伎神社があった。
別の場所にあった夜都技神社と、もとここにあった春日神社と一緒になり夜都技神社となったが、奈良春日神社と縁が深く、同じ武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神の四祭神を祀る。本殿は春日造檜皮葺、彩色7種の華麗なものだが藁葺の素朴な拝殿が珍しい。

この辺り柿やみかん畑が続き、長閑な風景が展開する。
左に青垣山の連なり、右に大和盆地。遠くに大和三山、さらに河内の国との境をなす金剛・生駒の山並みを見ながら進む。天の香具山に登って「国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国そ あきづ島 大和の国は」と歌った舒明天皇の気分だ。

萱生環濠集落
大和では南北朝の頃より戦乱が絶えなかったという。人々は自衛のため部落の周囲に濠をめぐらし外敵に備えた。これらは南北朝時代に造られたもので、今も竹之内や萱生集落に一部その名残を留めている。

衾田陵(西殿塚古墳)
萱生の集落を過ぎて南へ進むと左に大きな前方後円墳が見えてきた。衾田陵で、大きな古墳群の中でも最大級で全長230mある。今は第26代継体天皇の皇后手白香皇女の墓として宮内庁に管理されている。しかし1992年に行なった天理市の発掘調査によると、埴輪などの出土品や古墳の築造形式から見て3世紀後半の築造とされている。となると、6世紀初めに皇位継承した継体天皇の皇后陵としては年代が違いすぎるのだが。

柿本人麻呂万葉歌碑
衾田陵を降りて田中の道をなおも進むと、その田圃の一角がきれいに整備されて人麻呂の歌碑があった。
 衾道を 引手の山に 妹を置きて
   山道を行けば 生けりともなし
            (2−212)
亡き妻を山に置いて帰る道で、もう生きている気がしないと嘆き悲しむ歌。
前の長歌(212)では、妻の形見の幼子が泣くのに、与えるものも無く抱きかかえて、昼は淋しく、夜はため息ばかりつきながらどうして良いか分からず、悲しみ嘆く様子を歌っている。

長岳寺
人麻呂の歌碑からさらに南下すると天理市のトレイルセンターがあり、休憩することができ、山の辺の道や四季の自然について知ることが出来る。
すぐ東にあるのが長岳寺。長岳寺は天長元年(824年)淳和天皇の勅願により弘法大師が建立した古刹。大門を入りつつじの生垣の間を行くと受付を経てわが国最古の鐘楼門。門を潜ると本堂がある。境内はよく手入れされており、四季の花が美しい。本尊阿弥陀如来は玉眼を使用した仏像としては日本最古。庫裏で食べたにゅうめんはことのほか美味かった。夏は冷やしソーメン。

崇神天皇陵
長岳寺から山の辺の道に戻りさらに南下すると行く手に大きな前方後円墳が見えてくる。全長242m。第10代崇神天皇陵。崇神天皇は大和朝廷の始祖といわれている。この辺り巨大な古墳が多い。南に進むと日本武尊の父といわれる第12代景行天皇陵がある。全長310m。
少し戻るが、長岳寺から西へ行くと黒塚古墳がある。近年の調査で、石室から三角縁神獣鏡33面他が埋葬当時のまま発掘され、卑弥呼の墓ではないかと騒がれた。邪馬台国大和説の有力な手がかりとなっている。

額田王万葉歌碑
大神神社のご神体である三輪山を目指して長閑な山裾の道を進む。コース上にはいくつもの万葉歌碑があったが、それらの歌を通じて古代のロマンに浸るのも楽しい。
道脇の歌碑は額田王のもの。
 三輪山を しかも隠すか 雲だにも
   情あらなも 隠さふべしや
            (1−18)
天智6年(667年)都が飛鳥から大津の宮に移された。住み慣れた土地を離れるのを惜しんで歌ったもの。            

無人販売所
ルートは民家に挟まれた狭い路地を通り抜けたところで左に山に向かってしばらく行く。
道脇のところどころに無人販売所がある。土地でできる野菜や果物を販売しており、一袋100円。喉の渇きを癒すためみかんを一袋買ったが、これが小さいながら旨かった。100円で15個も入っていた。
この先の十字路で右に折れるが、次の相撲神社へは直進し、しばらくで右にある。

相撲神社
日本書紀によると、垂仁天皇の7年7月7日に大和の当麻蹶速と出雲の野見宿禰が、天皇の前で力比べの角力をした。結果は野見宿禰が当麻蹶速の腰骨を砕いて殺した。
これが日本国技の相撲の始まりとされている。そこでこの地に相撲神社が建てられた。昭和37年10月には時津風理事長をはじめ、大鵬・柏戸両横綱以下幕内全力士が訪れ、土俵入りをしたという。

相撲神社から元の道を分岐まで戻り左折し南へ向かう。 彼方此方の軒端には吊るし柿が吊り下げられていた。味は大和の吊るし柿。確かに旨い。
道は一旦下り、やがて纒向川に沿った集落の中を緩やかに上っていく。 纒向川を渡り右へ、対岸の道を左に三輪山の裾を巻くように行くと桧原神社。

桧原神社
大神神社の摂社で、御神体は同じ三輪山。ここには拝殿が無く、独特の三ツ鳥居(三輪鳥居)があるのみ。
初め天照大神を祭神としていたが、後伊勢神宮に移ったためこの地を元伊勢と呼んでいる。だが桧原神社は今も天照大神をお祀りしているという。

桧原神社の前の細い道を南下すると静かな佇まいの玄賓庵がある。

玄賓庵
平安時代初め、奈良興福寺の玄賓僧都が隠棲したところ。
本尊は藤原時代の木造不動明王(重文)。 三輪の神婚説話と天岩戸の神話に玄賓僧都を絡ませて物語が展開していく謡曲「三輪」の舞台になったところ。

玄賓庵から小さな上り下りを行くと三輪山麓になり狭井神社がある。

狭井神社
大神神社の摂社。本殿横手には万病に良く効くという狭井のご神水が湧き出しており、近在はもとより、遠くから汲みに来る人もいる。

ここからすぐ南に隣接する大神神社の広い境内に入っていく。

大神神社
祭神は大物主大神、大己貴神、少彦名神。
大物主大神は大国主神の名で知られ、後自らの御魂を三輪山に留め置いたところから三輪山をご神体とすることなった。したがってここには本殿が無く、拝殿と奥に三ツ鳥居があるのみ。
これらの神は農業、工業、商業にかかわるすべての産業の守護神として信仰を集めているが、なかでも酒造業の尊信が篤い。「三輪の神杉」の葉で丸く作られた「杉玉」は酒屋のシンボルとして用いられている。

JR三輪駅
山の辺の道はさらに南へ、日本最古の市が開かれたというツバイチの跡を経て桜井まで続くが、すっかり暗くなってきたので大神神社を最後にJR三輪駅に向かった。大鳥居を出て西に向かい、踏切を渡ってすぐ左へ商店の並ぶ細い道を行くと駅はすぐだった。

ホーム トップ