伝説 中 将 姫

    中将姫は、奈良時代の右大臣藤原豊成公の娘で、幼くして母を失い、継母に育てられました。しかし、継母から嫌われ、ひばり山に捨てられてしまいました。

その後、父と再会し一度は都に戻りましたが、姫の願いにより當麻寺へ入り、称讃浄土経の一千巻の写経を達成し、十七歳で中将法如として仏門に入り曼荼羅(諸仏の悟りの境地を描いた絵図)を織ることを決意し、百駄の蓮茎を集めて蓮糸を繰り、これを井戸にひたすと糸は五色に染まりました。そしてその蓮糸を、一夜にして一丈五尺(約四メートル四方)もの蓮糸曼荼羅に織り上げました。

姫が二十九歳の春、雲間から一条の光明とともに、阿弥陀如来を始めとする二十五菩薩が来迎され、姫は、西方極楽浄土へ向かわれたと伝えられています。「練り供養」は、その伝承を再現したもので、毎年五月十四日に當麻寺において行われています。
                            當麻寺 案内 より

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