街歩き


鎌倉に万葉集ゆかりの地を訪ねて


2014.5.29歩く

コ ー ス  徒歩約1時間40分
JR横須賀線鎌倉駅(14分)六地蔵(10分)吉屋信子記念館(6分)鎌倉文学館(5分)甘縄神明社(8分)長谷観音(13分)星の井(10分)稲瀬川(25分)稲村ケ崎(5分)十一人塚(4分)江ノ電稲村ケ崎駅

 歴史の街鎌倉は文学の街でもあります。万葉の昔から近代文学まで、時代ごとに鎌倉を舞台にした作品が数多く生まれている。万葉集には鎌倉を詠った歌が3首ある。今回はその万葉歌の歌碑とゆかりの地探訪を兼ねて、由比ガ浜通りから稲村ケ崎まで歩いてみました。
 



JR鎌倉駅
 東京駅から横須賀線で50分。乗り換えなしで意外と早く着くが、東京駅では横須賀線ホームまでずいぶん地下深く下りて行かなければならない。
 地上駅からは東海道線で戸塚まで、ここでホーム反対側の横須賀線に乗り換えてやはり50分で着く。
 東海道線は次の大船駅で横須賀線を分岐するが、横須賀線に乗り換えるのには一つ手前の戸塚駅の方が便利良い。

 さすが鎌倉の玄関口だけあって、いつ来ても観光客でにぎわっている。    

六地蔵
 駅東口から若宮大路に出る。北へ向かえば鎌倉八幡宮だが、今回は南へ進む。
 横須賀線を潜り、すぐ先の下馬の交差点を右へ由比ガ浜通りを西へ進む。江ノ電の踏切を渡り200m余り行くと六地蔵の交差点があり、右手角に6体の石地蔵が祀られている。鎌倉時代この近くに刑場があり、そこで処刑された罪人の霊を弔うために祀ったもので、後にこの場所に移された。  

由比ガ浜通
 この辺り、由比ガ浜の海水浴場も近いとあって、明治の終わりころから昭和初期まで避暑地として賑わったという。
 関東大震災ではこの辺りの建物の大半が焼失、あるいは全・半壊したという。その後に建てられた建物は震災に強い頑丈なものにしたというが、これもその一つ。元は銀行だったのだろうか、BANKという文字と、由比ガ浜出張所という看板の跡が見える。    

 由比ガ浜通を歩いていると、時折目を引く建物がある。これは鎌倉彫の寸松堂。寺院風の建物と、城郭風の建物が合体したような建物。鎌倉彫の店舗併用住宅として昭和11年に建てられたもので、市の景観重要建築物としての指定を受けている。  

吉屋信子記念館
 六地蔵から由比ガ浜通りを500m西へ行き右へ細い通りに入る。角の電柱に案内板が張り付けてあるので見落とさないようにしたい。突き当りが吉屋信子記念館である。  ここは作家 吉屋信子が晩年の10年間過ごしたところ。遺言により土地・建物などをそのままに保存してもらいたいとの希望と共に鎌倉市に寄贈された。
 普段は市民の学習教室として利用されているが、春と秋には、一般公開日が設けられ、建物内・庭を見学することが出来る。

鎌倉文学館
 吉屋信子記念館から静かな住宅街の道を西へ進む。突き当りを右に折れ鬱蒼とした木立の中を緩やかに上っていくと鎌倉文学館がある。
 鎌倉には大正末期から多くの作家が住んだ。そんな作家たちの写真・原稿・書簡・書籍などの資料が沢山収蔵し、万葉集以来の古典文学と共に常時展示されている。
 建物は、元加賀藩主前田侯爵が昭和11年に別邸として建てたものを鎌倉市に寄贈され、昭和60年に文学館として開館したもの。南庭にあるバラ園が素晴らしい。  

長谷子ども会館
 文学館を出て最初の辻を右へ行き、道なりに西へ進むと右手に瀟洒な洋館がある。
 明治41年、株の仲買人であった福島浪蔵の別邸として建てられたもので、昭和55年にその時の持ち主であった諸戸産業から鎌倉市に寄贈されたもの。関東大震災にも耐え、鎌倉に残る明治期の建物としては貴重なもので、国の有形文化財として登録されている。
 今は子供たちが自由に遊べる子ども会館になっているが、一般の見学は出来ない。    

甘縄神明社
 なお道なりに西へ進み、突き当りを右に折れるとすぐに神明社がある。
 社伝によると、和銅3年(710)土地の豪族染屋時忠が創建したと伝える古い神社。祭神は天照大神で、伊勢神宮の別宮であったとも言われている。
 源氏との関わりも深く、頼朝・政子・実朝も度々参詣していたという。長い石段を登った本殿前からは由比ガ浜辺りが望まれる。  

万葉歌碑
 目指す万葉歌碑は正面石段下左手の手水舎の後方にあった。歌は東歌の1首。

 鎌倉の 見越の崎の 岩くえの
    君が悔ゆべき 心は持たじ
         巻14−3365 東歌

 歌の意味は、鎌倉の見越の崎の岩が崩れるように、あなたが後悔するようなそんな心を私は持ちません(心変わりはしません)、ということだが、何故ここに建てられたのだろう。
 詠われている見越の崎とはどこだろうか。稲村ケ崎の説。あるいはその西方の腰越辺りとも言われている。また神明社の裏山を御輿が嶽というところからこの山との説もある。碑は御輿が嶽説に基づいているのかもしれないが、崎とか岩崩えと言うと波に洗われる稲村ケ崎の方がが相応しいように思うのだが。

からくり時計
 神明社からまっすぐ南に向かい由比ガ浜通りに出る。交通量が多いので車に注意しながら西へ進むと長谷観音の交差点に着く。
 ここを右へ行けば鎌倉大仏。左へ行けば江ノ電長谷駅。ここは信号を渡って真直ぐ長谷観音へ向かう。

 途中鎌倉オルゴール堂の前にからくり時計があり、9時から18時まで1時間毎に、きれいなメロディーで時を告げ、花の妖精が踊りを見せてくれる。

長谷観音
 正式名称は、海光山慈照院長谷寺という浄土宗系のお寺。長谷観音の名で親しまれており、坂東三十三カ所観音霊場の第四番札所となっている。
 本尊は十一面観音菩薩像で、像高は9.18m。木彫りの仏像としてはわが国最大級のもの。観音山の麓から中腹にかけての境内には、本堂をはじめ、阿弥陀堂、地蔵堂、大黒堂、弁天堂などの堂宇が並ぶほか、四季の花が目を楽しませてくれる。梅雨の頃に咲く紫陽花は40種余りあるという。 

見晴台
 境内西端の見晴台からは相模湾・由比ガ浜が望める。その眺望は「長谷の晩鐘」と詠われた鎌倉八景の一つでもある。

 参拝の後、山腹にある眺望散策路を巡り、花と眺望を楽しんだら元の交差点まで戻る。

星の井
 交差点を右へ。長谷駅を過ぎ、星の井通りに出ると右へ向かう。やがて虚空蔵堂がありその手前道脇にある。
 井戸の中に昼間でも星影が見えたことから、星月夜の井あるいは星月の井とも呼ばれていた。
 昔、行基がこの地で修業をしていたところ、井戸の中に三つの星影が映ったので、何かあると汲みだしたところ、黒光りのする石が出てきた。そこで、これを虚空蔵菩薩の化身と思い、虚空蔵菩薩像を彫って安置したという。  井戸は鎌倉十井の一つにも数えられており、清らかでおいしい水は昭和の初めころまで旅人に売られていたという。

 すぐ上の虚空蔵堂、その向かいの成就院(紫陽花の時期が良い)に参拝したら、30mほど戻って右へ入り海へ向かう。
 民家の玄関先に可愛い植木鉢が。      

由比ガ浜
 住宅街から出ると正面に相模湾、その手前に由比ガ浜の砂浜が広がる。古くからの海水浴場として人気があり、夏季には大変混雑するが、シーズン前の今は静か。
 鎌倉時代にはここが戦場となったり、近くに刑場があったこともあり、付近一帯からは処刑された数千体の人骨が発掘されているという。
 さらにさかのぼって万葉時代には、ここに流れ込む水無瀬川が見越が崎とともに万葉集に詠われている。 

稲瀬川
 まかなしみ さ寝に我は行く 鎌倉の
 水無瀬川に 潮満つなむか
   万葉集 巻14−3366 東歌

 万葉集に詠われている水無瀬川とはどこだろうと探したが、初めは分からなかった。が、この碑が目に入って、この後ろの川がそれと知った。今は稲瀬川という。まるで排水路のようで川とは思えなかった。水もさほど流れているようでもない。万葉集では水無瀬川と詠われているのはそのためか。潮が満ちてくると渡れなくなり、それを心配して詠った歌。      

稲村ケ崎
 由比ガ浜から湘南道路を西に向かうと行く手に見えるのが稲村ケ崎。
 鎌倉時代には、ここが鎌倉の西の境界で、絶好の防御壁となっていた。新田義貞が鎌倉攻めの時、龍神に祈願して海中に黄金造りの太刀を投じ波を静めて海岸を徒渉したという。西側に整備された公園に、「史跡稲村ケ崎新田義貞徒渉伝説地」の石碑が建っている。
 神明社で紹介した万葉歌の見越が崎はここではないかとの説もある。今では湘南道路を車で容易に通り抜けることが出来るが、断崖絶壁で、しかも崩れ易いこの崎、万葉の時代から難所だったに違いない。土地では崩れ易いところとして知られていた。歌の石崩えはそれを言っているのだろう。
   第2次大戦末期、米軍の上陸を阻止するためここに機関砲が配備されたという。画面中央左寄りに見える四角い窓が地下壕の銃眼。  

ボート遭難の碑
 稲村ケ崎の西側は芝生公園として整備されている。ここから西が七里が浜。その先に江の島が見える。
 明治40年(1910)、この七里が浜沖合で逗子開成中学校の生徒12人を乗せたボートが転覆し、全員帰らぬ人となる悲しい事故があった。鎮魂歌「真白き富士の根」が広く歌われ、映画にもなったので、良く知られるところだ。公園の一角に遭難碑が建てられている。  

十一人塚
 公園から200m余り江の島方面に進み、駅入り口の信号を右に入る。少し回り道になるがまっすぐ行くと右手に大きな石碑がある。
 元弘3年(1333)5月、新田義貞鎌倉攻めのさい、義貞方の武将大館宗氏は由比ガ浜辺りに攻め入ったが、北条方の本間山左衛門の襲撃にあって、主従11人が討ち死にした。その霊を弔う観音堂がここにあったという。今は地元青年団によってその場所に十一人塚の碑が建てられている。

江ノ電稲村ケ崎駅
 十一人塚を過ぎて江ノ電の踏切を渡り、すぐ線路に沿って左へ行くと稲村ケ崎駅。ここからは江の島経由で藤沢に出るか、鎌倉に出る。  




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