街歩き


取手の街を歩く


2008.3.21歩く

コ ー ス  徒歩2時間
JR常磐線取手駅(10分)長禅寺(6分)旧取手宿本陣(3分)八坂神社(3分)利根川堤(3分)小堀の渡し(5分)念仏院(25分)本願寺(20分)埋蔵文化財センター(30分)本多重次墳墓(15分)JR常磐線取手駅

取手は平将門の時代、現在の長禅寺のある高台に砦の築いたところ。取手の地名はこの砦に由来するという。また、水戸街道の取手宿のあったところでもあり、今も本陣や古い寺社、商家の建物が残り見るべきものが多い。

    

取手駅東口
 常磐線取手駅へは上野から快速電車で40分。後方上野寄り出口から東口に出たところがスタートとなる。

 駅前の通りを渡り右へ。すぐに左へ大師通りを入る。正面の丘が長禅寺の境内。その裾に商店が並んでおり、これに沿って右へ道なりに進む。すぐ左に境内に入る細い石段があるが、これを通り過ぎてさらに先に正門がある。


長禅寺
 長禅寺は、大鹿山長禅寺と号し、臨済宗妙心寺派のお寺。
 縁起によると、承平元年(931年)に、平将門が勅願所として創建したと伝える。本尊は延命地蔵尊。将門死後一時荒廃したが、承久元年(1219年)に義門和尚によって再興されたと伝えられている。
 長禅寺は最初旧大鹿村(現在の取手競輪場近くの白山)に建てられたが、江戸時代の初め、取手宿が出来ると共に現在地に移建された。

三世堂
 縁起によれば、文暦元年(1234年)に織部時平が、平将門の守本尊である十一面観音菩薩像を安置するために建立したという。現在の建物は宝暦13年(1763年)に再建されたもの。
 外からは2層に見えるが、内部は3層で、入口から順路に沿って進むと途中交差することなく3層まで行って一巡できるという「さざえ堂」形式になっている。数少ないさざえ堂の中でも最古のもの。県指定文化財。
 百観音堂ともいい、将門の守本尊と伝える十一面観音と坂東三十三ヵ所、西国三十三ヵ所、秩父三十四個所の百観音を安置している。

   

 長禅寺の急な石段を下り、先の旧水戸街道に出たすぐ左に奈良漬の新六本店がある。
 さらにその先5分ほどで左に旧取手宿本陣染野家住宅がある。

旧取手宿本陣
 天和・貞享年間(1681〜1688年)に水戸街道が整備され、取手宿が置かれると、代々名主を勤めていた染野家が水戸徳川家の本陣として指定された。主屋は寛政7年(1795年)に建てられたもので、水戸街道に現存する本陣の中では最も古く、大きい。金、土、日に限って中を見ることができる。


徳川斉昭の歌碑
 天保11年(1840年)、水戸藩第9代藩主徳川斉昭が水戸へ帰る途中、舟上で詠んだ歌2首を染野家に残していった。水戸家では天保14年にこの内の1首を石に刻み染野家に贈った。それが庭の一角に建てられている。
 「指て行 さほのとりての 渡し舟
   おもふかたへは とくつきにけり
               斉昭 」

 本陣を出てすぐ先の信号を反対側に渡ると角に八坂神社がある。  

八坂神社
 八坂神社は寛永3年(1626年)の創建で素盞嗚命を祭神として祀る。本殿は明治36年(1903年)に改築されたもので周囲の彫刻が見事。
 毎年8月1日から3日まで行われる例大祭に担がれる神輿は、大きさ重さとも関東随一で、80人ほどの担ぎ手によって担がれ「荒みこし」として有名。

 八坂神社の横を進むと正面に利根川の堤防が見える。

小堀(おおほり)の渡し場
 利根川は以前はこのあたりで大きく蛇行していたため、しばしば氾濫し大きな被害に見舞われていた。明治の終わり頃河川改修工事で川を直線化し流をスムーズにした。切取られた蛇行部分は古利根沼として残されたが、古利根川の北側取手市小堀地区は現在の利根川の南、千葉県側になってしまった。

 このため取手市では取手市の飛び地である小堀地区の住民のために渡し舟を1日6往復運行している。

鮭地蔵
 堤防の中段に広々とした利根川の河川敷を見下ろすように1体のお地蔵さんが立っている。
 安政5年(1858年)に発行された赤松宗旦の「利根川図志」によると、この少し下流の布川辺りで獲れた鮭が一番美味しかったという。当時は沢山の鮭が遡上し、ここでもずいぶん獲られたに違いない。この地蔵は名前からしてその供養のために立てられたものだろう。  

 ふたたび八坂神社まで戻り、道路を渡って東へ進む。  街道沿いには所々古いがっしりした建物が残り、かつての宿場の面影が偲ばれる。

念仏院
 八坂神社のすぐ先で、街道脇から急な石段を登ると念仏院。浄土宗のお寺で、本尊は阿弥陀如来。境内には取手の生んだ国学者であり歌人の沢近嶺の墓がある。徳川斉昭も沢近嶺に歌の添削をしてもらったという。
 また、ここは新四国相馬霊場の2番札所であり、七福神(福禄寿)の一つになっている。  

本願寺
 道をさらに北東に進み、郵便局のある交差点を左に折れる。やがて前方に本願寺が見えてくる。
 光明山傳教院本願寺という浄土宗のお寺。応永3年(1396年)浄土宗中興の祖、了譽聖けい禅師の開創。
 本多作左衛門がこの地に封じられたときにここを菩提寺とし、供養料として20石を寄せたという。
 お寺には重次着用の具足類、家康から拝領の金扇などが寺宝として保管されている。

一筆啓上の碑
 三河三奉行の1人で、徳川家康に仕えていた本多作左衛門重次は、主君の家康に対してさえ歯に衣着せぬ物言いで、鬼作左といわれたほど。その剛直さが災いし、豊臣氏に対する度々の無礼を秀吉にとがめられ、上総古井戸3千石に蟄居を命じられた。その後下総井野(取手)に移り68歳で病死した。

 日本一短い手紙として知られているこの手紙は、重次が戦場から家族に送ったもので、お仙は重次の嫡男仙千代で、後の越前丸岡藩4万石の初代藩主成重。  

埋蔵文化財センター
 本願寺を出て東へ。やがて吉田小学校入口の標識が見えてくるのでそれに従って右折する。ほどなく小学校の先、あたりは田園地帯となるがその中にそれとすぐ分かる建物が見えてくる。
 ここには、取手市の発掘調査の結果の出土品や記録、市内で収集された古文書などの歴史資料が保管されている。
 これらの資料は、年3回行われる企画展でテーマごとに展示され、あわせて講演会なども行われ大変興味深い催しとなっている。

 埋蔵文化財センターの入口まで沢山の可愛い豚が案内してくれた。
 取手市では、平成3年に開設された東京藝術大学取手校と文化交流を進めており、平成4年より毎年、同校の卒業作品の中から2作品に対し市長賞を授与している。この作品は「はな(鋳金)」と題し、第9回市長賞を得た本山ひろ子氏の作品。
 毎年の受賞作品は取手市に寄贈され、市の公共施設などに展示されている。

 埋蔵文化財センターから今来た道を本願寺まで戻る。本願寺の先を右折し道なりに進むと、やがて大きな井野団地の中を行く。  団地を過ぎた辺りで右へ急な坂道を登っていく。登りきったところに標識があり、それを右へ行くと突き当たりに、本多作左衛門の墓がある。

本多作左衛門の墓
 三河三奉行の1人として家康に重んじられたが、秀吉の怒りを買い蟄居を命じられる。家康から領地3000石を与えられ、晩年はここですごし68歳で生涯を閉じた。墳墓は県の史跡に指定されている。  

 墓にお参りしたら今来た坂道を下る。下の道を南へ進むが、今度は上り坂となる。この辺りは坂の多いところだ。
 途中の民家で見た生垣。竹を切り抜き、節を上手く利用して鉢替わりとし色とりどりの花を植えていた。なかなかのアイデアマンだ。
 広い道なりに行くとやがて信号のある交差点に出る。ここを右へ行くとほどなく出発点の取手駅。


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