街歩き


まくらがの里に城下町の面影を求めて


2010.6.17歩く

コ ー ス  徒歩約1時間30分
JR東北線古河駅(10分)神宮寺(3分)武家屋敷(15分)雀神社(1分)万葉歌碑(10分)永井寺(7分)頼政神社(5分)正定寺(8分)鷹見泉石生誕之地(3分)長谷寺(2分)歴史博物館(1分)鷹見泉石記念館(2分)古河文学館(10分)篆刻美術館(2分)永井路子旧居(11分)古河駅

 古河は古くは万葉集東歌にも歌われているように、古河の渡しがあり、水運で栄えたところと思われる。室町時代には鎌倉公方足利氏が移り、戦国時代にかけて関東の政治の中心となった。

 江戸期になって、土井氏、堀田氏、小笠原氏など徳川譜代の大名が入り幕末を迎える。大正時代の渡良瀬川の河川改修により、古河城本丸跡などは河川に水没してしまったが、市内には古い建物など城下町の遺構が残る。  そんな古河に、万葉歌碑を訪ね、城下町の面影を偲びながら歩いてみた。

 



JR東北線古河駅
 古河駅へは上野から東北本線(愛称宇都宮線)で快速50分、普通で1時間10分で着く。
 改札を出た正面に観光案内所がある。先ずはここで観光案内図でも頂こうかと思ったがオープンは10時。それまで1時間ほどある。時間がもったいないので、帰りに資料でもあればと思って寄ってみたら15時までで締まっていた。なんとも役に立たない案内所だった。

万葉歌碑
 駅を西口に出るとロータリーの中に万葉歌碑がある。
 逢はずして 行かば惜しけむ
     麻久良我の 許我漕ぐ舟に
       君も逢わぬかも
               (14ー3558)
 逢わないで行くのは惜しい、せめて古河の渡しの船の中ででもあの人に逢えないものか。
 麻久良我は古河市周辺の総称。

旧日光街道
 駅前から西へ300mほど行くと旧日光街道に出る。
 右角に常陽銀行があるので、ここを右折する。

古河宿
 古河宿は日光街道の日本橋から数えて9番目の宿場。
 駅からの道が突き当たったところに、「古河城下本陣址」の碑があり、このあたりに本陣、脇本陣があり、旅籠は31軒あった。
 将軍の日光社参の折には古河城を宿城としていたため、行列の多いときは旅籠だけでは間に合わず、武家屋敷や一般の町屋にも分宿していたらしい。

 広い道を北に向かい、次の横山町の信号を左折する。道は少し狭くなるが、これが旧日光街道。すぐ右に神宮寺がある。
神宮寺
 名前で判るように神仏習合時代のお寺。神仏習合は神祇思想と仏教思想が融合した宗教思想。奈良時代に始まり平安時代に全国的に広まった。当寺の創建は文安3年(1446年)で、当初鎌倉に建てられたが、足利成氏が古河に移ったときに移建され、当地の総鎮守雀神社を管理する別当寺の立場にあったという。
 明治の神仏分離令により独立する。その時雀神社の本地仏の十一面観音菩薩が当寺に戻された。
 真言宗豊山派のお寺。  

鉤形の道
 神宮寺を出て先に進む。旧日光街道は途中で右に折れるが、そのまま真直ぐ進むと鉤形の道に突き当たる。城下町に良く見られる道で、敵の侵入を防ぐためにわざと複雑にしてある。ここから道はさらに狭くなる。

旧武家屋敷
 狭い通りに入って先に進むと右手に立派な土塀が続く。元は古河藩家老小杉監物の屋敷だったところ。今は個人の住宅なので見学は出来ない。

 左に正定寺の境内(墓地)を見て先に進む。道は突き当たり、右に折れている。このあたり大手町というが、以前は代官町といっていたところ。古河藩士が多く住んでいたところで、今もその雰囲気が残る落ち着いた道だ。

 真直ぐ進むと広い参宮通りに出る。左に折れると正面に雀神社の森が見える。

雀神社
 市の天然記念物になっている御神木の大欅に迎えられて境内に入る。
 神社の創建は貞観年間(859〜876年)と伝えられているが明らかではない。祭神は大已貴命、少彦名命、事代主命。
 名前から雀に関係があるのかと思ったが、そうではないらしい。当社はこのあたりの総鎮守で、鎮の宮(しずめのみや)が雀宮(すずめのみや)に転訛したらしい。現在の社殿は、慶長10年(1605年)に古河藩主松平康長が造営したもの。
万葉歌碑
 雀神社のすぐ西、渡良瀬川の堤防上に2つ目の万葉歌碑があった。

 麻久良我の 許我の渡の 韓楫の
  音高しもな 寝なへ児ゆゑに
      (万葉集 14ー3555)
 (許我の渡舟の 韓製の楫の音のように噂が高いよ、まだ寝てもいないあの児のことで)
 碑は、昭和60年3月に建てられたもので、高さ245cm、横143cm。碑面に古河市出身の篆刻家、生井華氏の揮毫により彫られている。

 万葉歌碑のある堤防の下の河川敷は現在はゴルフ場になっていて、その先に渡良瀬川が流れている。大正時代の河川大改修で、当時の様子は分からないが、このあたりから対岸の埼玉県向古河へ許我の渡しがあったようだ。
 古河城はこの先(下流)にあったが、その城址も今は河川敷に水没している。

永井寺
 堤防を下りて、ゴルフ場のクラブハウスの前の道を南へ400mほど進み、右へ100mほど入ったところにある。
 寛永3年(1626年)古河藩主永井直勝の開基による曹洞宗お寺で、永井家の墓所がある。本尊は釈迦牟尼佛。 

頼政神社
 永井寺の前の道を200mほど南へ行くと右手に急な石段があり、これを登ったところに頼政神社がある。源頼政を祀る神社で、治承4年(1180年)宇治川で平家に敗れた頼政の首を葬ったところと伝えられている。
 元は古河城内頼政郭にあったが、河川改修の折ここに移された。ここは旧古河城最北端の土塁のあったところ。
 龍ヶ崎にも同じ言い伝えのある頼政神社(小さな石祠)があるのだが。  

正定寺
 頼政神社を出て江戸町通りを東へ行く。次の信号の手前で左へ正定寺の参道を入る。
 土井家初代土井利勝が開いた浄土宗のお寺。
 土井利勝は天正元年(1573年)生まれで父は水野信元、養父が土井利昌となっているが、境内にある土井利与が建立した土井利勝の一代記「侍従樅碑」には「家康の御子」と刻まれている。

黒門
 寺の東側にある。もと東京本郷にあった旧古河藩主土井家下屋敷にあった表門を昭和8年に移築されたもの。大名屋敷に多く用いられた薬医門で、市の指定文化財となっている。

土井家墓所
 土井家の墓所は浅草誓願寺にあったが、大正12年の関東大震災後の復興計画に基づき、昭和2年に当寺に改葬された。正面に土井利勝夫妻の宝篋印塔2基を置き、向って左に歴代土井家当主を供養した宝篋印塔等がある。

鷹見泉石生誕之地
 正定寺からもとの江戸町通りに出てすぐ先の歴史博物館入口の信号を右に入る。気持ちの良い通りを200mほど行くと、左に少し入ったところにある。
 鷹見泉石は、土井家11代利位に仕えた江戸家老。とくに蘭学者として知られており、泉石が出版した「新訳和蘭国全図」は世界部分図としてはわが国最初のもの。積極的な開国論者だったという。渡邊崋山が描いた「鷹見泉石肖像画」は、国宝となって東京国立博物館に蔵されている。

長谷寺
 先ほどの道をさらに進み、古河郵便局を過ぎると左に長谷寺が見える。
 寺伝によると、明応2年(1493年)に初代古河公方の足利成氏が、古河城の鬼門除けとして鎌倉の長谷寺から十一面観音菩薩を勧請し、堂宇を建立したという。真言宗豊山派のお寺で、本尊十一面観音立像は市の有形文化財。また、大和桜井の長谷観音、鎌倉の長谷観音と共に三大長谷観音といわれている。

古河歴史博物館
 来た道を少し戻り右に入ると緑の多い静かな佇まいの中に古河歴史博物館がある。平成2年に開館したもので、館内の常設展示としては、古河の古代から近代にいたる「古河の歴史」や、古河藩家老の鷹見泉石が収集し、研究した主として蘭学の資料を展示する「鷹見泉石と洋学」などがある。
 1階ロビーには立派なストリートオルガンが置かれており、ときおり聞かせてくれる。  

鷹見泉石記念館
 古河歴史博物館の前にあるのが、鷹見泉石が晩年を過ごしたという住まい。これを改修して記念館として公開している。建物は寛永10年(1633年)土井利勝が、古河城の三階櫓を建てたときの残り材を使って建てたといい、土井氏の家老職にあったものが入ったという。
 幕末には、天狗党の乱で幕府に降った水戸藩士100余名が収容されたところでもあった。

古河文学館
 鷹見泉石記念館を出て北へ向う。歴史博物館の並びにあり、平成10年に開館したもので、茨城県初の文学館。古河市出身の歴史小説家・永井路子はじめ、小林久三、佐江衆一ほか古河ゆかりの作家の作品や肉筆原稿などの資料展示している。
 また、文学講座や文学散歩、朗読会などの催しも行われている。

 文学館から北へ古河第一小学校に沿って進む。道はきれいに整備されており気持ち良く歩ける。ここも鉤形になっている。路面には雪の結晶のタイルが敷かれている。
 11代藩主土井利位は雪の結晶の研究家として知られ、土井利位の著した「雪華図説」はわが国最初の雪氷学的成果として高い評価を受けている。このタイルもそれに因んだもの。このほか市内の街灯などいろんなところに結晶のデザインが使われている。  

古河街角美術館
 小学校の前の通りを北へ向う。200mほどで江戸町通りに出るが、その左角の赤いレンガ造りの建物が街角美術館。市民の創作活動の発表の場として平成7年に開館した。1階が古河にゆかりの画家の常設展示コーナー。2階が市民ギャラリーとして貸し出されている。

篆刻美術館
 街角美術館から1軒置いて東隣にある。ここで酒類卸売業を営んでいた平野屋の石蔵で、大谷石を用いて大正9年に建てられたもの。平成3年にこれを改造して、わが国で初めての篆刻専門の美術館として開館した。国の有形文化財として登録されている。
 篆刻とは、柔らかい石や木に篆書という古い文字を刻んで、朱色の印泥をつけて紙に押したものを鑑賞するもので、もとは印章から発展したもの。
 館内には古河出身の故生井子華の遺作をはじめ数々の作家の作品を展示しており、また体験も出来る。

永井路子旧宅
 街角美術館から江戸町通りを西へ100mほどいったところに歴史小説家永井路子の旧宅がある。永井路子は東京で生まれたが、すぐに母の郷里である古河に移り、結婚するまでの20年間ほどここで過ごした。
 この店蔵は江戸時代末期の建物で、平成15年に永井路子が住んでいた当時の状態に復元し、古河文学館の別館として開館し、永井路子の経歴などを紹介している。

 江戸町通りを東へ戻ると日光街道に出て古河駅に戻る。

 途中懐かしさを感じる看板の店を見た。下駄が沢山並べられていたが、最近は履く人も少なくなったのではないだろうか。

茶舗の看板。店は新しくなっていたが、これは貫禄があります。
坂長本店
 日光街道を少し南に戻って肴町通りに入ったところに坂長本店の店蔵や袖蔵がある。江戸初期から両替商をしており、江戸末期には酒問屋をしていた。
 通りに面した店蔵は明治6年の廃城令によって払い下げられた旧古河城の文庫蔵。袖倉は乾蔵。他に文蔵庫、主屋、中蔵、石蔵などがあり、旧古河城の建築遺構を知るうえで貴重なもので、国登録の有形文化財となっている。
 これらの建物は所有者からしに寄贈され、「土蔵公園」として整備されることになり、平成22年度の予算に計上されたという。  




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