里山歩き


岡倉天心ゆかりの五浦海岸を歩く


2009.11.28歩く

コ ー ス  徒歩約2時間25分
JR常磐線大津港駅(20分)国道6号線(15分)大津港(10分)佐波波地祗神社(25分)大津岬灯台(2分)五浦公園(10分)茨城大学五浦美術文化研究所(1分)岡倉天心の墓(7分)天心遺跡記念公園(5分)茨城県天心記念五浦美術館(15分)わすれじ平和の碑(35分)大津港駅




JR常磐線大津港駅
 上野から常磐線特急で日立まで1時間40分。日立で普通列車に乗換えて30分で着く。上野から普通列車だと3時間を要す。次の駅勿来は福島県。

駅前の道を東に進む。広い道に突き当たったところを右へ。少し行くと左斜めに分かれる道があるのでここを入る。左に願證寺をみながら行くと国道6号線に出る。

国道6号線
 6号線を横切りなおも進むと、潮の香りが漂ってくる。回りの町並みは漁村の佇まいだ。

大津港
 水戸藩内屈指の漁港として栄えてきた大津港。今でも県内随一の施網漁港として年間数万トンの漁獲量を誇っている。
 温かい日差しを受けて家族総出で漁網の修理に勤しんでいた。  

カモメ
 漁港には付き物のカモメ。漁船から捨てられる魚を狙っている。

佐波波地祗神社への道
 大津港の中ほどから、民家の間の細く長い坂道と石段を行き、最後に急な石段を登ると唐帰山(からかいさん)の上に鎮座する佐波波地祗神社に着く。

 ここからは眼下に大津港が一望の下に見下ろせ、遠く鹿島灘の沖を行く巨船の姿も望める。それだけに沖を行く船からもここは良い目印となっている。

佐波波地祗神社
 当社の創立は古く、今から凡そ1150年ほど前の斉衡(854年〜)天安(857年〜)間と伝えられている。祭神は、天日方奇日方命・大己貴命など6神で、国家鎮護・家内安全・商売繁盛など広く守護するが、特に海上守護の霊験が顕著で、海上航海や漁民の崇敬が厚い。
 5年毎の5月には、神輿を乗せた神船が、300人ほどの引き手に曳かれて練り歩く御船祭(国選択無形民俗文化財)が行われる。
 神社から車道に戻り緩やかな上り道を行く。途中大津港の全景が一望できる。
 文政7(1824)年5月28日、イギリスの捕鯨船の乗組員12名がこの辺りに上陸して大騒ぎとなった。水戸藩ではすぐに12名全員を逮捕したが、食料・水・燃料の補給のためと分かり、幕府は7月11日に釈放したという。  この頃各地で同様のことが起こり、燃料・食料の交換から密輸事件にまで発展していたことから、幕府は警戒していた。
 外圧に対して逸早く警鐘を鳴らしていた水戸藩では、藤田東湖がこの船員を切るべく駆けつけたが、既に釈放した後だったという。

大津岬灯台
 左に五浦第2公園を見ると右へ五浦岬公園への道に入る。やや急な上り坂が終わると左に大津岬灯台がある。

 この灯台は、大津漁港に出入りする船舶や沿岸を航行する船舶の道しるべとして昭和35年3月25日に設置点灯されたもので、高さ14.7m(水面から灯火までは56m)。光源には100V、500Wのハロゲン電球が使用されており、20海里(37km)先まで届くという。

五浦岬公園
 大津岬灯台の少し先右手にある。さほど広くはないが、断崖上の松林の中に遊歩道が付けられていて一巡できる。朱塗りの六角堂を点景とする五浦海岸の眺めが素晴らしい。

 公園から車道をしばらく下っていき、五浦観光ホテル本館を過ぎると茨城大学五浦美術文化研究所がある。

茨城大学五浦美術文化研究所
 岡倉天心は日本美術学校(現東京藝術大学)の校長であったが、校内でのトラブルから職を辞し、明治31年に日本美術院を創設した。
 36年に当地に居を移し、39年には美術院をここに移し、愛弟子の横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山を呼び寄せ、ここを拠点に日本画の近代化を目指して活動した。
 この長屋門のほか、土地と建物は遺族から岡倉天心遺跡顕彰会に寄贈され、その後茨城大学に移管された。

ウォーナー像
 長屋門を入るとすぐ左に昭和37年に建てられた天心記念館があり、平櫛田中作の「五浦釣人」と「岡倉天心像」や天心の愛用していた釣舟「竜王丸」(復元)、その他資料が展示されている。

 記念館の先にウォーナー像がある。ウォーナーはハーバード大学を卒業後、五浦で天心に師事、後フィラデルフィア美術館長を務めた人。第2次大戦中、日本の主要な文化財を政府に提出して攻撃を加えないように進言し、このためわが故郷奈良や京都が戦火から免れたと聞いていた。が、このことについては本人が否定していたという。

天心旧居宅
 天心は居を移すにあたり、白砂青松の海岸線よりも、五つの浦と岬を持つ変化に富んだこの地を好んで選んだという。住居は六角堂と共に天心自ら設計したもので、当初100余坪ほどあったというが、現在のものはその半分くらいに縮小されている。  

岡倉天心墓
 五浦美術文化研究所を出て道路を挟んだすぐ反対側にある。天心は大正2年(1913年)9月2日に、赤倉温泉の山荘で没した。墓所は東京豊島区駒込の染井墓地にあるが、天心の遺言により分骨され、この地に埋葬された。  

黄門の井戸
 天心の墓地のすぐ隣道路脇にある。
 元禄の頃、水戸光圀が領内巡視の折、喉の渇きをおぼえたので、井戸がないかと捜していたところ供の者が畦の脇に古井戸を発見した。しかし、水は底深く汲むことが出来ない。どれどれと光圀が覗き込んだとき、杖がコンと井戸の縁に当たった。すると水がコンコンと湧き出て飲むことが出来たという。
 各地にある「弘法の井戸」と似たような話だが、さすがここではお大師様より水戸のご老公ですね。

日本美術院研究所跡
 黄門の井戸から先に進み、五浦観光ホテルを過ぎてしばらくで天心記念公園への道が右に分かれる。
 明治39年(1906年)天心が日本美術院を五浦に移し、研究所が建てられたのがこの場所。長い間荒地となっていたが、昭和53年から3年かけて整備され。昭和55年11月8日に一般公開された。一角には筆塚がある。
 公園をさらに進むと茨城県天心記念五浦美術館の駐車場に出ることができる。

茨城県天心記念五浦美術館
 太平洋を望む断崖上の広大な地域に、日本美術院創立100年目の平成9年に開館したもので、岡倉天心を始め、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山ら、五浦ゆかりの画家たちの作品を展示している。
 館内には岡倉天心記念室が常設されていて、天心の書簡や遺品等の資料と共に、天心の業績を紹介している。
 館内はゆったりしていて、ロビーからの眺めもすばらしい。

わすれじ平和の碑
 美術館を出て、広い道を右へ行く。今は廃業となった天心の湯を過ぎてすぐに右に長浜海岸への道を入る。
 この辺り一帯、終戦間際風船爆弾の放流地となったところで、民宿長浜の前の高台に碑がある。ここから約9000個の風船爆弾を放流し、内約300個が上空のジェット気流に乗ってアメリカ本土に到達したという。
 風船は、紙とコンニャクで作られた直径10mほどの物で、50時間後に爆弾や焼夷弾を投下するように設定されていたという。

駅への道
 民宿長浜の前の細い道を入ると、先程別れた広い車道に出る。これを右へ行く。やがて国道6号線を横切って、なおも道なりに進むとほどなく大津港駅に着く。  




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