街歩き


常陸風土記の丘から歴史の里石岡を歩く


2005.09.16歩く

コ ー ス  徒歩3時間25分
JR常磐線石岡駅(バス15分)常陸風土記の丘(25分)恋瀬川サイクリングロード(40分)府中橋(20分)常陸国総社宮(5分)陣屋門(30分)国分尼寺跡(20分)国分寺跡(35分)清涼寺(10分)平福寺(20分)JR石岡駅

歴史の里石岡を歩いた。ここはかって常陸国の国府が置かれたところ。そして国分寺、国分尼寺、総社がつぎつぎと建てられた。南北朝時代に常陸の豪族大掾詮国が府中城を築き8代約240年ほど支配した。その後常陸太田の佐竹氏が責め滅ぼし支配するが、関が原の合戦で西軍に与したため秋田に転封。最後は水戸徳川家の分家が入り維新を迎える。市内にはこれらの史跡が多い。
明治2年に府中から石岡と改められるが、市内の町名には府中、総社、国府など今も残っているのは嬉しい。また有史以前の遺跡も多くあり、風土記の丘が整備されてその一部を復元している。バスの時間の都合で風土記の丘を振り出しに歩いたが、振り返ってみると時代の流れに沿って歩いたことになった。

   

JR石岡駅
スタートはここから。駅前にはタクシーが沢山あったが、ちょうど登校時間で、学生が相乗り登校するのか乗り場は混雑していた。
駅を出て左(手前)へ100m弱でバスターミナルがあった。
バスの本数が少ないので、先ず風土記の丘へ行って、そこから石岡まで歩く方が時間を気にしなくて良い。

常陸風土記の丘
古墳や寺院などの古代史跡を保存し、古代文化に親しんでもらうことを目的に各地で史跡公園計画が進められた。ここも、全国で20近くある風土記の丘のひとつ。
近くには旧石器時代から古墳時代にかけての遺跡も多く、常陸国ができたときにはこの地に国府が置かれ、国分寺・国分尼寺が建立されるなど、国の中心地となった。


古代家屋復元広場
竪穴式住居から江戸時代の住居まで、各時代の資料を基に復元されている。

園内には展示室や江戸時代の曲屋の食堂もあり、6名以上のグループで申し込めば、そば打ちや藍染めも体験できる。

鹿の子史跡公園
常磐高速道建設工事のときに発掘された遺跡の一部をここ風土記の丘に復元したもの。常陸国の官営工房跡といわれている。住居、工房、官衙(役所)の3ブロックからなり、写真のものは住居と工房を併用したものといわれている。ここで武具や鉄製品などが作られていた。   

恋瀬川サイクリングロード
風土記の丘を出たら車道を右へ。ここからウォーキングの開始。バスで来た道を戻っていくが、車の通行が結構多い。左手にある海洋センターを過ぎると歩道が無くなるので、車には十分気をつけよう。波付岩キャンプ場入り口のバス停を過ぎ、少し先を右に折れ、宝持院を過ぎると前方に恋瀬川の堤防が見えてくる。これはサイクリング道。筑波山を背に府中橋までこの道を行く。この日は涼しい爽やかな風が吹き、暑さ知らずで気持ち良かった。

稲掛け
ちょうど稲の刈り入れ時期だった。最近は刈り取りから脱穀、袋詰めまで同時にやってしまい。藁は切り砕いてそのまま田んぼに置いてくるので。このような稲掛けを見るのは珍しい。

常磐高速道の下を行き、府中橋に出たら左へ。しばらく歩道が無いので車に気を付けたい。信号を渡って先へ行くと左に鳥居があり、これをくぐっていき右へ急な階段を登ると大きな社殿がある。   

常陸国総社宮
天平年間の創建で、伊弉諾尊、大国主尊など天神地祇の六柱を祀る。これは国内の全ての神々を表している。石岡に国府が置かれていた頃、新しく国府の長官である国司が就任すると、神拝と称して国内の全ての神社を訪れる行事があったが、これを簡略にするため国内の全ての神を集めたところが総社。
毎年9月の第3土日月に行われる大祭は市内各町から山車や神輿が集合し賑わう。  

陣屋門
総社宮の境内を通り抜け門を出ると、こちらが現在の参道なのか右に折れると大きな鳥居があった。通りに出て左へ行くと左手に石岡小学校の校庭の入り口があり、入ったところに陣屋門があった。
府中藩陣屋の正門で、文政11年(1828年)江戸小石川の府中藩邸が焼失し、新築されたときの余材で作られたもの。陣屋建築唯一の遺構。小学校の校門になっていたが、道路事情により今の場所に移された。  

府中城跡
石岡小学校のある辺りは、正平元年(1346年)大掾詮国が築いた府中城のあったところ。陣屋門の左奥に土塁の一部が残る。
さらにその左に石岡市民俗資料館がある。  

元の道に出て市民会館のところを左に折れ、道なりに北へ進む。青屋神社、若宮八幡神社を左に見て北へしばらく行くとガソリンスタンドのある交差点の先に府中小学校がみえるる。その先を右に入ったところ、小学校の裏手に国分尼寺跡がある。道角の要所要所に案内標識があり助かる。  

常陸国分尼寺跡
天平13年(741年)、この頃流行っていた疫病、災害の平癒を願って、聖武天皇の勅願により諸国に国分寺と共に国分尼寺が建立された。常陸の国の国府が置かれたこの地にも国分尼寺が建立されたが、他の国分尼寺同様その後衰退し、消滅した。昭和44年の発掘調査の結果、南大門、中門、金堂、講堂が南北に一直線に並ぶ遺構が明確にされた。このようにはっきりした例は珍しく、国の特別史跡に指定された。  

常陸国分寺跡
国分尼寺跡を後に元の道を戻る。途中国分寺入り口のところを左に入りしばらく行くと国分寺跡に着く。国分寺跡の碑のあるところが中門跡で正面に見える赤いお堂が薬師堂。過っての金堂はその後ろにあった。 国分尼寺同様聖武天皇の勅願により諸国に建立された。  

講堂跡
現在ある薬師堂のすぐ後ろに金堂跡。その後ろに講堂跡。南大門、中門、金堂、講堂が南北に一直線の伽藍配置。七重塔は少し東に離れたところ。全国に建立された国分寺、国分尼寺、どうしてなのか今はその遺構すら分からないものが多い中で、常陸国分寺、国分尼寺はその遺構がはっきりしており、貴重な史跡として国の特別史跡に指定されている。  

国分寺跡を出て左にすぐで355号線に出る。この道を南下する。石岡は歴史ある町だけに、町のあちらこちらにこのような土蔵造りの商家や造り酒屋、民家が残っていた。
途中右に通り1本入ったところに府中藩松平氏(水戸徳川家の分家)の墓所のある照光寺があり、高喜ショッピングプラザを過ぎると右に佐竹氏の菩提寺となった清涼寺がある。  

平福寺
清涼寺を出て355号線をさらに南へ。信号を渡ってすぐ左に入りしばらくで北向観音がありその先に平福寺がある。平福寺は常陸大掾氏の菩提寺として知られている。大掾氏代々の墓所には高さ1.62mの一際大きな五輪塔を取り囲むように14基の五輪塔がある。  

平福寺を出ると石岡駅は北東方向に20分ほど、街中を見物しながら行こう。
この日は、常陸国総社宮の大祭が明日から始まるとあって、祭に繰り出す山車の準備で各町とも大童だった。 この山車は守横町のもので静御前が飾られている。他に神武天皇や八幡太郎など13の山車、神輿、幌獅子等で賑わう。  

石岡市巡回バス時刻表(石岡市HP→巡回バス→染谷・半ノ木ルート)

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