街歩き


桧枝岐村を訪ねて


2008.6.26歩く

コ ー ス  徒歩30分プラス見学時間
野岩鉄道会津高原尾瀬口駅(バス1時間5分)檜枝岐役場前(1分)歴史民俗資料館(2分)六地蔵(7分)檜枝岐歌舞伎の舞台(20分)ミニ尾瀬公園

 檜枝岐は、福島県の西南端に位置し、周囲を2000m級の山々に囲まれた、山深い里である。村の中央を流れる桧枝岐川に沿って村落が展開している。
 檜枝岐の歴史は古く、遺跡からの出土品により縄文時代にまで遡ることができるが、ここはまた平家の落人の里としても知られている。現在村には平野姓が多いが、平家の落人説として有力視されている。他に星姓、橘姓が多く、この3姓で村のほとんどを占めている。また、村に伝わる言葉や文化にも京風の香りが残るという。
 尾瀬の福島ルートの入口であり、会津駒ヶ岳の登山基地として何度か訪れたが、いつも素通り。今回は1日余裕を取って村内を歩いてみた。

    

檜枝岐村歴史民俗資料館
 会津高原尾瀬口からバスに揺られて1時間余り、ようやく桧枝岐に着く。役場前で降りてすぐ南へ入ると役場の手前に資料館がある。檜枝岐の歴史や檜枝岐歌舞伎の衣装、日常生活の様子などを展示している。桧枝岐を知るうえでまず訪ねたいところ。
 観光案内所もかねており、ここで資料などももらっていこう。

     資料館の前に「万里姫」という女人像があ り、檜枝岐温泉の源泉から引き湯しているというアルカリ性の湯が流れている。昔、尾瀬沼に住む万里姫が近くに湧き出る温泉で身を洗ったところ雪のように白い肌になったという。一度試してくださいという。村の温泉のコマーシャル。

六地蔵
 資料館を出てバス通りを少し先に行くと右側道路脇にある。
 高地で寒冷地のため米の栽培は出来ず、主食はそばやひえ、あわなどに頼ってきたが、凶作の時はそれさえも取れず、貧しい暮らしを強いられ、このため幼い子供たちは間引きされたという。この六地蔵はその子供たちの霊を弔うために建てられたもの。6体に揃いの帽子、前掛けが掛けられ、きれいな花が供えられていた。  


星立庵
 六地蔵の背後にある。昔星家が建てたのでこの名がある。一時は住職もいて、明治44年までは寺子屋として使われていたという。現在は村人の共有のものとなっている。

板倉
 六地蔵のすぐ隣にあった。同じような建物が点々と見受けられた。
 桧枝岐は周りを山に囲まれた狭い土地だけに壁土が採れず、昔から住居も倉も板だけて作っていた。最も古いつくりは「せいろう造り」といって、柱を使わず厚い板をせいろうのように組み合わせていくもの。次いで柱に横板を張り重ね桁を掛ける「落し板倉」。新しいのは柱に内外から板を釘で打ち付ける「打ち付け板倉」といった形式がある。板だけのため火災に弱く、大切なものを納めた倉は、住居から離れた畑や山麓に建てられた。

 口留御番所
 板倉を見てしばらく進むと右手に石の鳥居があり、鎮守の神社への参道が続いている。かつてこの辺りに口留御番所があったという。
 檜枝岐は漆ろうそくの材料であるロウの主産地と同時に材木の生産地であったため、幕府の直轄地となっていた。このため幕府の出先機関としての番所を置き、盗伐等の監視をしていた。 また戊辰戦争の折には特に人の出入りを厳しくチェックする関所の役割を果たしていたという。

橋場のばんば
 鳥居を潜って進むと左にお婆さんの姿をした石像がある。橋場のばんばと言って、子供を水難から守ってくれるというので、子を持つ親の信仰が厚いという。
 また恋の取り持ちもするという。そして良縁を切りたくなかったら錆びた鋏を、悪縁を切りたければ新しい良く切れる鋏を供えると良いという。周りに沢山のカラフルな鋏が供えられていたが、どれもみな新しい鋏のように見えたのだが。
 さらにお椀の蓋を頭にかむせるとどんな願いも叶えてくれるという。
 ところで、横にあった案内板の解説文が面白かった。「ご覧のように笑っている
顔は前歯が1本欠け、ボインもだらりと垂れ、愛嬌のある…ありがたい仏である。」とあった。ところが観光協会のパンフレットには、「縁結び、縁切りの神様」とある。神様か仏様か。とにかく願いさえ聞き届けてもらえれば固いことは言わない。おおらかなところがいいですね。

袖萩とお君の像
 橋場のばんばの先にある。檜枝岐歌舞伎の人気演目の一つ、安倍貞任の妻袖萩が盲目となって、娘のお君と流浪する悲しい物語「奥州安達ヶ原袖萩祭文の段」の一場面を再現した像。
 

檜枝岐歌舞伎の舞台
 参道の突き当たり、鎮守の神社の下に広場があり、舞台があった。これは本来神社の拝殿であるが、この舞台で檜枝岐歌舞伎が演じられる。
 檜枝岐歌舞伎は、今から200年余り前の江戸中期寛政の頃、伊勢神宮参拝の折に江戸で見た歌舞伎を見よう見まねで持ち帰り伝えたものという。娯楽の少なかった山村だからだったのだろう、役者から裏方まで、村民こぞってこれを盛り上げ、父から子へと引き継がれ今日に至っている。
 (重要無形民俗文化財)
   檜枝岐歌舞伎は毎年、5月12日の愛宕神社祭礼の日、8月18日の鎮守神社祭礼の日、そして9月第1土曜日の檜枝岐歌舞伎の夕べの3回上演される。  観客席は神社の石段脇に石組みで作られていて1000人ほど収容できるとのこと。(9月公演のみ入場料1000円。ただし、村内宿泊者は無料)

ミニ尾瀬公園
 鎮守の神社を出て国道を右へ、民家の庭や畑に咲く花々を楽しみながら檜枝岐川に沿って遡って行くと20分ほどでミニ尾瀬公園に着く。途中には福寿草の群生地もあり、花の時期には寄っていくのも良い。
 公園は、ミズバショウやニッコウキスゲなど尾瀬を代表する花を手軽に観賞できるようにと、檜枝岐川の開けた川原に作られた。平成11年のオープンで、80種100万株の花を観賞できる。花期は標高の違いで本家尾瀬よりは1ヶ月ほど早い。

 園内には、「武田久吉メモリアルホール」と「白旗史朗写真美術館」がある。
 武田久吉は幕末から明治にかけての英国の外交官アーネスト・サトウの次男。植物学者。日本山岳会の設立発起人の一人。尾瀬を広く世間に知らしめるとともに、尾瀬のダム化に反対するなど自然保護運動にも力を注いだ。武田久吉の使ったカメラや採集道具、採集日記などを展示している。

 白旗史朗は自然風物や山岳写真の第1人者。尾瀬の様々の表情や尾瀬の花の素晴らしい写真を展示している。

 園内一巡はほぼ1時間。歩道や木道が整備されているので、車椅子でも回れる。このときはニッコウキスゲ、ヒオウギアヤメ、クリンソウ、ヒメサユリ、コマクサなども咲いており、本場の尾瀬より1ヶ月ほど早い。

ニッコウキスゲ

ミニ尾瀬というだけあってうまく造園してありる。ここにはミズバショウもあり、部分的にカットすると本場の尾瀬のよう。

 帰路バスの場合は公園を出たところにバス停があるが、本数が少ないので、時間を確かめてから園内を散策すると良い。
 時間があれば燧の湯、駒の湯、アルザ尾瀬の郷で入浴していきたい。


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