里山歩き


安曇野・穂高を歩く


2007.8.4歩く

コ ー ス  徒歩2時間15分
JR穂高駅(3分)穂高神社(10分)井口喜源治記念館(15分)東光寺(1分)等々力家(30分)大王わさび農園(23分)水色の時道祖神(15分)早春賦の碑(30分)碌山美術館(8分)JR穂高駅

北アルプスの山麓に広がる安曇野の田園風景。いつか歩いてみたいと思っていた。そこに息づく文化・芸術・歴史、そして懐かしいふるさとを思わせる自然。見るべきものがあまりにも多いので1日では無理だった。今回は大糸線の東側半分を巡ってみた。



穂高駅
安曇野散策の出発点となる穂高駅へは松本から大糸線で30分ほど。左手車窓に北アルプスの峰々を楽しんでいるうちに着く。北ア入門コースの燕岳への玄関口にしては簡素な駅だ。

登頂
駅前のロータリーの中央に建つ銅像。北アルプスの玄関口にふさわしいもので、台座に「登頂」とあった。

安曇野散策はここからスタートするが、安曇野は広く見るべきものも多い。徒歩では1日で回りきれない。駅前にある貸自転車を利用するのも良し。主要な観光地を循環する周遊バスを利用するのも良い。(1回100円。1日300円。)

穂高駅から東へ広い道路がのびている。この道を少し行くと右手に大きな鳥居があり、その奥が穂高神社の境内。

穂高神社
祭神は、本殿中殿に穂高見神、左殿に綿津見神、右殿に瓊々杵神。そして別宮に天照大神、若宮に安曇連比羅夫命が祀られる。
ここは里宮で、奥宮は上高地の奥、明神池にあり、嶺宮は標高3190mの奥穂高岳頂上にある。海陸交通守護。登山安全の神としての信仰が篤い。
広い境内には20年毎に新造される本殿のほか、勅使殿、神技殿、鎮斎殿、神楽殿、資料館などがあり、資料館では例祭の時に奉納されの大小御船や穂高人形飾り物、古文書、宝物などが常時展示されている。

阿曇連比羅夫像
穂高見神は海神族の祖神で、その後裔が阿曇(安曇)族。 阿曇族は玄界灘を中心に活躍した海の民。本拠地は志賀島で、大陸とも交渉のあった文化の高い氏族であったようだ。その後海路日本海を経て信濃に入りこの地を安住の地とした。
天智元年、天皇は百済の王子豊璋を百済に送り、王位を継承させた。このとき阿曇連比羅夫が大将軍として軍船170隻を率いて百済まで送った。しかし翌2年8月白村江での唐・新羅連合軍との戦いで戦死する。
境内を出て元の広い通りを東へ進むと千国街道手前右手に井口喜源治記念館がある。

井口喜源治記念館
井口喜源治は明治3年に当時の東穂高村に生まれ、長じて長野県の小学校の先生を歴任するが、明治31年、新宿中村屋を開業した相馬愛蔵、兄安兵衛、村の有力者臼井喜代らの援助を受けて、私塾「研成義塾」を創設した。因習にとらわれた農村にあって、「自由と独立」を基にして独力で農村の青年を教育し、明治・大正・昭和の40年で800名近い人を世に送り出した。日本の近代彫刻の先駆者ともなった荻原守衛(碌山)もその一人。館内には使用した教科書、書籍、書簡、写真などを展示している。

東光寺
井口喜源治記念館を出て先に進むと国道。ここを右へ、次の信号を左へ暫らく行くと左手に大きな仁王門が見えてきた。
室町時代の作と伝える薬師如来を本尊とする曹洞宗のお寺。仁王門の前にある大きな朱塗りの鉄製下駄には驚かされた。まるで門が下駄を履いているよう。この下駄を履くと願いが叶えられるという。折しも下駄を履いていた人がいたが、どんな願いをしていたのだろう。
本堂下では暗闇を手探りで行き、極楽往生を願う戒壇めぐりができる。

等々力家
東光寺の少し先に立派な長屋門がある。江戸時代のこの辺りの庄屋を務めていた等々力家で、松本藩主が鮭や鴨猟の折には本陣として利用された。
奥にある殿様座敷や江戸中期に造られた須弥山式石組みの庭園は今もよく保存されている。
この長屋門は市の有形文化財に、庭のビャクシンは天然記念物に指定されている。

等々力家を出て道なりに行くとやがて安曇野ののどかな田園風景が展開する。青々とした稲田の中を1本の真直ぐの道が何処までものびている。真夏の暑い日であったが、稲田を吹く抜ける緑の風が、汗ばんだ肌に心地よかった。

行く手に見える森が大王わさび農場。
2003.5.4
大王わさび農場
犀川と穂高川の合流するあたりに開かれたわさび農場。15haの広さは日本一という。
わさび田は山間の渓流にあるものと思っていたが、ここは平地。これは北アルプスの雪解け水が伏流水となってここに湧き出し、年間を通して13度の水温が保たれていることがわさびの栽培に適しているという。
この日は暑かったので、日除けだろうか黒い網で覆われていた。

この水車小屋が登場する、黒澤明監督の映画「夢」の中の「水車のある村」は、ここ大王わさび農場で撮影された。カメラマンの人気の被写体となっているが、休日にはカヌーやゴムボートで遊ぶ人が多く、興を削がれる。
ここには他にアルプス展望台や、売店、レストランなどもあり、安曇野観光の人気スポットになっている。

わさび園からもと来た道を戻り、万水川を渡って少し行ったところで右へ折れる。道祖神公園に通じる信濃路自然歩道。懐かしい思い出が蘇るような田舎道だ。

道祖神公園
公園と言ってもこじんまりとした広場。道祖神が2体あるだけ。この道祖神、昭和50年のNHK連続TV小説「水色の時」撮影用に作られたもので、「水色の時道祖神」といっている。バックに残雪の北アルプスでも入れれば絵になるのだろうが、生憎この日は雲に隠れて全く見えない。

早春賦歌碑
道祖神公園から道標に導かれて自然歩道を行く。穂高川沿いのわさび田を見て堤防に上がると早春賦の碑があった。木陰にはベンチもあって、ゆったりとした穂高川の流を眺めながらお弁当を広げるのも良い。

「春は名のみの風の寒さや…」
この歌は大正の初期、この地にやってきた作詞家吉丸一昌が、遅い春を待ちわびる農民の気持ちを鶯にことよせて作ったものといわれている。
この碑の他にも作詞吉丸一昌、作曲中田章の肖像と楽譜を彫り込んだ碑があり、ソーラーオルゴールからは早春賦のメロディーが流れてくる。

碌山美術館
早春賦の碑から堤防の上をのんびりと行く。途中左に穂高公園を見てその先の道を左に入る。国道147号(千国街道)を渡り、西友の信号を渡ると大糸線の踏み切り。それを越えると碌山美術館がある。

荻原守衛(碌山)は明治12年12月1日に穂高村矢原の農家の五男として生まれる。キリスト教に傾倒する相馬愛蔵や井口喜源治の影響を受け、22歳で洗礼を受けて絵の勉強のために渡米する。その後ロダンの「考える人」を見て衝撃を受け彫刻家を志した。28歳で帰国、新宿にアトリエを構えて製作に打ち込む。明治43年(1910年)3月、日本近代彫刻の最高傑作といわれる「女」(重要文化財)を完成。そのわずか1ヶ月後の4月20日に新宿中村屋で吐血。22日に永眠した。30歳と5ヶ月であった。

蔦の絡まるチャペル風の建物は安曇野のシンボルとなっている。
これはキリスト教に傾倒した碌山を偲んで、全国からの寄付によって昭和33年に建てられたもの。碌山の全作品と資料を展示するほか、碌山と親交のあった高村光太郎、中村悌次郎、石井鶴三他の作品も展示している。

数々のすぐれた作品を堪能したら元の道を戻ろう。線路を渡り、西友ストアーの前を右へ行けば10分足らずで穂高駅だ。






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