街歩き


旧漁師町浦安を歩く


2014.9.28歩く

コ ー ス  徒歩約1時間50分
JR京葉線新浦安(7分)若潮公園(25分)浦安市郷土博物館(15分)豊受神社(5分)東学寺(7分)旧宇田川家住宅(2分)清瀧神社(1分)宝城院(8分)六人河岸(17分)船圦緑道(8分)稲荷神社(4分)善福寺(6分)浦安魚市場(5分)東京メトロ東西線浦安駅

 浦安といえば東京ディズニーランドで知られ、美しい街並みは国土交通省の都市景観100選に選定されているが、かつては山本周五郎の「青べか物語《でも知られるように漁師の町として賑わっていた。わずかに残る面影を訪ねてみた。
 


 

JR京葉線新浦安駅
 東京駅から京葉線で20分。昭和63年12月1日 に開業した比較的新しい駅。
 駅周辺は商業施設や、オフィスビルを中心に、マンション群が整然と区画された街並みが広がり、国土交通省の都市景観100選にも選定されている。が、ここも2011年の東日本大震災では、一帯が液状化現象によって大きな被害を受けた。  

若潮公園
 駅の北口を出て広い通りを西へ向かうと右手に芝生広場のある若潮公園があり、その奥に交通公園がある。
 いろいろの形の自転車やバッテリーカーに乗って園内のコースを回りながら交通ルールを学ぶもので、親子で楽しそういペダルをこいでいた。

境川
 若潮公園の西側を流れるのが境川である。旧江戸川から分流して浦安市内を流れ、東京湾に注いでいる。もとは3kmほどだったのが、東京湾の埋め立てにより今では5kmほどになっている。かつては漁港として賑わい、べか船がびっしり係留されていたというが、今はそれに代わってレジャー用ボートや釣り船の係留地となっている。  

浦安市郷土博物館
 境川に沿って上流に向かう。湾岸道路を過ぎてすぐ右手に市役所が見えるのでその先を右折する。この辺り市役所のほか、文化会館、図書館などの施設が集合しており、その一角に浦安市郷土博物館がある。
 かつて漁師町として栄えた浦安の歴史を保存をするために平成13年4月に開館した。干潟のジオラマや漁具の展示物、映像などを通して漁師町当時の浦安を知ることができる。
 ベカ舟の製作実演が行われており、間近に見られる。  

屋外展示場
 浦安が漁師町として最も活気のあった昭和27年ごろの町並みを再現している。
 江戸末期のころの三軒長屋、明治後期の漁師の家、同じく魚屋、大正15年のたばこ屋など、いずれも県や市の文化財の建物が移築されており、懐かしい雰囲気を醸している。  

 銭湯は表の部分のみで、内部の浴槽等は無いが、その佇まいは郷愁を感じる。こんなところで竹馬に乗ったり、缶蹴りをして遊んだが、ここではそんな道具も貸してもらえ、子供たちが楽しそうに遊んでいた。    

豊受神社
 博物館を出て再び境川を上流に向かう。江川橋のところで道を渡り右へ行くと豊受神社がある。保元2年(1157)の創建と伝える市内では最も古い神社。祭神は豊受姫大神。
 境内にある根回り8m、高さ15mの大銀杏は見もの。昔境川河口を流れていた小さな木を村人が拾い上げ、ここに椊えたと伝えている。元の木は塩害で枯れたが、周りに生えていた萌芽枝が大きくなったもの。

富士塚
 同じく境内に富士塚がある。江戸時代に富士山を信仰する人々が集まって富士講を作り富士参りをしていたが、実際に登山できない女性や子供たちのために、富士に似せた小山を作り、本物の富士山の代わりにここに登ってお参りをした。これを富士塚という。
 富士塚は富士山の溶岩で作られ、頂上には木花之佐久夜毘売命を祀った浅間神社がある。高さは約6m。立ち入り禁止になっていた。  

 境橋
 江川橋に戻って上流に向かうと次の橋が境橋。戦後しばらくの間境川には、べか船を中心として2千艘近くの漁船が係留されていたという。その時の様子が橋の欄干に取り付けてあった。

 境川
 漁師の町として賑わったこの界隈も、昭和46年に漁業権が放棄されてからは、船の姿も次々と消えていき、静かな町となった。

 橋を渡って真直ぐ進むと東学寺がある。

東学寺
 東学寺は永禄年間(1558~69)に常誉上人の開基のよる。本堂は明治13年に全焼したが大正4年に再建したもの。本尊の亀乗薬師如来は、元亀年間(1570~73)堀江村の住人与八郎の母が近くの砂浜で拾ってきたもので、これを仏壇に安置し祈願をしたところ、当時流行っていた疫病にかかっていた家族の病も回復したという。後のこの薬師如来を東学寺に奉紊されたという。薬師如来は非公開となっている。   

旧宇田川家住宅
 東学寺を出てフラワー通りを西へ進む。新中通りを過ぎてしばらく行くと右手に旧宇田川家住宅がある。米・油・呉朊・雑貨などを扱う商家だった。明治2年(1869)の建築で、市の有形文化財に指定されている。
 旧宇田川家住宅の手前の路地を入ると境川に面して旧大塚住宅がある。江戸末期に建てられたもので、農業と漁業を営んでいた。県指定有形文化財。
 どちらも屋内の見学ができる。

清瀧神社
 フラワー通りに戻りなおも進み、宮前通りを渡ると清瀧神社がある。創建は建久7年(1196)と伝えられているが、その後たびたび津波による被害に遭った。現在の本殿は安政2年(1855)に再建され、拝殿は明治29年(1896)に建てられたもの。祭神は大綿津見神。(海の神)。

本殿
 海の神を祀る神社らしく、本殿壁面には竜宮城・浦島太郎・千鳥などの精緻な彫刻がびっしりと施されている。特に正面の龍の彫り物は見事。
 ここの境内にも富士塚がある。   

宝城院
 清瀧神社の南隣に宝城院がある。建久7年(1196)醍醐山願行上人の開基による真言宗豊山派のお寺。本尊は上動明王。

庚申塔
 境内にある庚申塔は元文元年(1736)に建立されたもの。中央に邪鬼を踏み押さえる青面金剛菩薩を彫り、その下に三猿、左右に二人の童子と雌雄の鶏を配し、下段には4体の夜叉が彫られている。これほど立派な庚申塔は珍しく、しかも祠内に入っているためか搊傷もなく、県の有形文化財として指定されている。  

大蓮寺
 宝城院の隣が大蓮寺。天文13年(1544)に覚誉存栄が創建したと伝える浄土宗鎮西派のお寺。本尊は阿弥陀如来。境内にある庭園は、東方世界の瑠璃光浄土を表現している。

六人河岸
 再度境川に戻って西へ進む。この辺り、かつて6人網の船溜まりとなっていたところから六人河岸という。6人網というのは2艘の船で行う巻網漁法の一つで、1艘の船に3人ずつ乗って6人で操業するところから6人網あるいは6人船とも言っていた。
 明治の頃最も盛んにおこなわれていたというが、大正の頃には魚影も少なくなり、その後次第に姿を消していった。

西水門
 境川はこの水門のところで旧江戸川から分流し、市中を流れて東京湾に注いでいる。右上の鉄橋は地下鉄東西線。  

旧江戸川
 水門のところで堤防に上がり上流に向かう。この辺り釣宿が多く、川岸には屋形船や釣り船が沢山係留されている。
 川下方面には河口にある東京ディズニーランドの施設も見える。

 堤防に沿って上流に向かうと前方に水門が見えてくる。水門手前の稲荷神社への標識に従って、堤防を降りて船圦川緑道に入る。
 

船圦緑道
 ここは、かつて船圦川が流れていて農業用水や生活用水としても利用されていたという。また漁船も多く出入りし、魚介類の陸揚げなどでにぎわっていたが、ここでも漁業権の放棄により漁船の姿も消え、昭和48年には川も埋め立てられた。
 昭和52年にはここを緑道として整備された。両側が車道で、真中が遊歩道となっている。片側に緩やかなカーブを描きながら流れる小川と木立の中をのんびりと歩くことができる。
 緑道途中左手に稲荷神社の鳥居がある。これを入ると突き当りに稲荷神社の社殿がある。  

稲荷神社
 元禄2年(1689)の創建。武蔵國小岩村の善養寺から移し祀ったものと伝えられている。祭神は豊受大神で穀物豊穣の神として信仰された。
 境内に大鯨の碑がある。  ある時二人の漁師が、浅瀬に打ち上げられている大鯨を発見。これが噂の鯨かと大格斗の末に大鯨を捕ることが出来た。 二人が帰還すると村中が大騒ぎとなり、二人は英雄扱いされたと云う。このため仕事も手につかなくなり、このことに終止符を打つために考えた末大鯨の碑を奉紊し、祀ったと云う。

善福寺
 船圦緑道に戻り先に進む。緑道の切れた交差点で右に折れるとすぐ先に善福寺がある。
 明暦2年(1656)の開基と伝える真言宗のお寺。本尊は大日如来。大正6年の津波で崩壊したが、その後修復を重ね今の姿になった。
 改修工事中に発見された宝篋印塔が本堂右手に建てられており、市の文化財として指定されている。

さかえ通り
 善福寺を出てさらに南へ進むと、途中左手に「さかえ通り商店会}の看板を掲げた通りがある。車がやっと通れる程度の一方通行の通りに、民家と商店が入り混じっており、懐かしさを感じさせるものがある。  

浦安魚市場
 さかえ通り商店会を通り抜けて、駅前の広い通りに出ると浦安魚市場がある。周囲には乾物屋やうなぎ屋なども並び、漁師の町浦安らしいところだが、営業はいずれも午前中。市場を覗くのなら逆回りで歩きたい。

東京メトロ東西線浦安駅
 通りを南に向かうと前方に鉄道の高架が見える。通りの上を走っているが、これは地下鉄。すぐ下に東京メトロ東西線浦安駅がある。  ここから東京大手町まで快速で16分。千葉へは西船橋でJR総武線に乗り換えて40分ほど。  




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