街歩き


大賀ハス発掘の地から甘藷試作地へ


2010.7.15歩く

コ ー ス  徒歩約2時間50分
JR総武線検見川駅(10分)検見川神社(18分)東大検見川総合運動場(大賀ハス発掘地まで往復25分)(8分)東大緑地植物実験所(10分)しらさぎ公園(20分)子安神社(18分)真蔵院(10分)三代王神社(25分)子守神社(18分)青木昆陽甘藷試作地(1分)京成幕張駅(7分)JR幕張駅

 昭和26年、現在の東大検見川総合運動場内にある落合遺跡から2000年ほど前のハスの種3粒が発掘された。このうち1粒が翌年開花し、発掘者の大賀博士の名をとって大賀ハスと名付けられた。今では国の内外に根分けされ、各地で美しい花を咲かせている。

 享保の大飢饉の後、青木昆陽は幕府の命により幕張の地で甘藷の試作を行い成功。これがその後の天明、天保の飢饉から人々を救うことになる。

 今回は、言わばこの二つの発祥の地を結んで歩いてみた。




JR総武線新検見川駅
 新検見川駅へは秋葉原から総武線普通で43分。
 南口に出て、先の角を右へ、線路に並行して西へ進む。

 駅前から西へ500mほど行くと前方に検見川神社の駐車場が見えてくる。そのすぐ手前を左に下りていくと右から大賀ハス通りを合わせ、すぐ先に京成電車の踏切があり、左に入ったところに京成検見川駅がある。
 駅の北側には真言宗豊山派の宝蔵院がある。

検見川神社
 踏み切りの手前で、道路を反対側に渡ると検見川神社の鳥居がある。
 検見川神社の社誌によると、貞観11年(869年)、全国に流行した疫病を治めるために、嵯峨の地に素盞嗚尊を祀ったのが始まりとされている。その後承平4年(934年)に社殿が建立され、さらに文禄年間(1592〜1596年)に現在地に遷されたという。

 祭神は、中神殿に素盞嗚尊、東神殿に宇迦之御魂神、西神殿に伊弉冉尊の三神を祀る。
 8月1〜3日の例祭には神輿の渡御があり賑わうという。
 また、ここでは疫病災難除けのお守りである「ちまき守り」が4月から10月まで頒布されていて1年間門口にお祀りしておくと良いという。この地の夏の風物詩にもなっている。

 石段を降り、鳥居を出ると先ほどの大賀ハス通り。左(北)へ総武線のガードをくぐって進む。  

 左に朝鮮初等中学校を見て進むと、前方右手に東大検見川総合運動場が見えてくる。交差点を渡り右へ行くと入口がある。

東大検見川総合運動場
 ここには野球場、サッカー場、ラグビー場、テニスコート他からなる総合運動場とセミナーハウスがあり、東大生ばかりでなく、他の大学、小・中・高校生も利用できるという。
 大賀ハスの発掘地はこの運動場のほぼ中程にあり、事務所で見学手続きを取り入場許可をもらって入る。
 この辺り落合遺跡といわれ、昭和22年の発掘調査では3隻の丸木舟と9本の櫂が発見され、弥生時代の舟だまりのあったところと推測されている。
大賀ハス発掘の地
 この時発掘された中にハスの果托があったことを知った植物学者の大賀一郎博士は、昭和26年に市民の協力を得て発掘調査したところ、女子中学生が3月30日に1粒のハスの実を発掘、続いて4月6日に2粒が発掘された。このうちの最初の1粒が発芽し、翌年見事に花を咲かせた。
 調査の結果、これが2000年前のハスの実と分かり大きな話題となり、大賀ハスと名付けられた。
 発掘された場所には小さな桜の木と石のプレートが置かれているのみ。花は隣の緑地植物実験所で見られる。

緑地植物実験所
 門を出て先の交差点まで戻り、右折するとしばらくで緑地植物実験所がある。
 ここは、東京大学大学院農学生命科学研究科の付属施設で、造園用・観賞用植物の収集、栽培、繁殖を行い、利用に関する技術の教育と研究を行っている。
 ここも見学は平日のみ。事務所においてある見学申込書に記入して入る。

 ここでのメインはやはり大賀ハスに因んでハスの花。大賀ハスを始め、ここで作り出された種など、現在230余種の花が栽培されている。
 ハスの他では、江戸椿の系統を中心に110余種の椿が栽培されていて、これも見もの。

しらさぎ公園
 緑地植物実験所を出て右へ実験所に沿って行く。実験所を過ぎて150mほどで右へ子安神社への案内標識がある。これを見送って100mほど行く。左にある瑞穂の杜ガーデンブラザが尽きたところを左に曲がると突き当たりにしらさぎ公園がある。

 ここでも大賀ハスが栽培されており、大賀ハスだけならこちらの方が沢山見られる。  なお、大賀ハスは千葉県の天然記念物に指定されている。  

花見川サイクリングロード
 しらさぎ公園の西側には花見川が流れる。川沿いにはサイクリングロードが整備されている。また道沿いにアジサイの花、桜並木もあって、花時に訪れたいところ。

子安神社
 しらさぎ公園からは一旦元の道を先ほどの子安神社への分岐まで戻る。標識に従って北への道をしばらく行き、京葉道路を渡るとすぐに子安神社の鳥居がある。
 境内にある神社の由緒書によると、延暦年間(782〜806年)すぐ裏にあるこの地を支配した豪族の古墳を神体とし、五穀豊穣の神として創立した。のち奇稲田姫命を勧請して安産の守護神として祀ったとある。

 船橋市三山の二ノ宮神社が中心となって、7年に一度の三山七年祭りが行われる。これは、室町時代の頃に馬加城主の千葉康胤が嫡子出産に際し、二宮神社、子安神社、子守神社、三代王神社の神主に安産祈願をさせたことに由来するもので、周辺4市9神社が、父、母、子守、産婆、叔父、叔母、長男、娘、末息子の役割で参加して行われ、ここ子安神社は「母」の役割で参加する。丑年、未年の11月に行われ、最近では昨年(2009年)行われた。

花見川
 神社右手の通りに出て北へ向う。最初の角を左へ行き、T字路を右へ行くとしらさぎ公園から来るサイクリングロードにでる。ここの潮留橋で花見川を渡り、堤防上の道を下流に向う。

 京葉道路を潜って2つ目の小道を降り部落の中の道をいく。突き当りを左折し、道なりに行くと右手に真蔵院が現れる。

真蔵院
 真言宗豊山派のお寺。大同元年(806年)の開基と伝えられ、元禄年間(1688〜1704年)に観海上人により中興開山したといわれている。
 本尊は、千葉常胤の三男、武石三郎胤盛が母の菩提を弔うために祀ったといわれる地蔵菩薩。  

板碑
 境内にある板碑は、高さ3.31mの武蔵型板碑で永仁2年(1294年)と刻まれており、千葉市の文化財として指定されている。これは、胤盛の曾孫胤長が、母の菩提を供養するために建立したと伝えられている。
 胤盛の守り本尊を祀る浪切不動堂は、近在の船頭衆の信仰を集めていた。

三代王神社
 真蔵院を出て南へ、すぐ道なりに西へ進む。信号のある広い通りを渡るとすぐ右にある。祭神は天種子命。
 三山七年祭りでは産婆の役で参加する神社。

 神社を出て先程の広い県道57号線に戻り南へ行く。総武線・京成線を潜り・その先幕張町4丁目交差点の一つ手前の道を右に入る。これが江戸時代の房総往還。これを10分ほど行き、道が左にカーブするところを右に入ると子守神社。

子守神社
 平成16年に改装された立派な社殿を持つ神社。素盞嗚尊を祭神とする。
 三山七年祭では子守役として参加する。

 もとの房総往還を戻り、57号を北へ。今度は線路を潜らず、左上の道に入るとすぐに綺麗に整地されたところに、秋葉神社・昆陽神社が並んで鎮座している。

秋葉神社・昆陽神社
 享保20年(1735年)青木昆陽は幕府の命によりこの地で甘藷の試作を行い成功する。以後馬加(幕張)村で甘藷の栽培が普及し、これが後の天明、天保の大飢饉から人々を救ったという。昆陽は「芋神さま」として敬われ、弘化3年(1846年)秋葉神社の境内に祀られた。
 道路工事のためこの辺り整備され、両神社とも平成18年に新社殿が造営された。
 道路の反対側に「青木昆陽甘藷試作地」(県史跡)の石碑がある。  

JR総武線幕張駅
 秋葉神社から57号を越えると京成幕張駅。そこから線路に沿って進み、300mほど行った先の踏切を渡るとJR幕張駅に出る。




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