街歩き


稲毛浅間神社から稲毛海浜公園へ


2013.2.11歩く

コ ー ス  徒歩約1時間50分
JR総武線稲毛駅(15分)京成稲毛駅(5分)稲毛浅間神社(5分)市民ギャラリーいなげ(6分)愛新覚羅溥傑ゆかりの家(4分)稲岸公園(14分)JR稲毛海岸駅(20分)稲毛公園入口(2分)民間航空記念館(2分)稲毛記念館(7分)花の美術館(30分)JR京葉線稲毛海岸駅

 かつての東京湾の波打ち際に建てられた稲毛浅間神社は808年創建の古社。遠浅の稲毛海岸は埋め立てられ、団地や住宅地となっている。その先、今の海岸線には稲毛海浜公園が造られ、花の美術館はじめいろんな施設が整備された。新旧海岸線ある古い施設と新しい施設を訪ねてみた。
 



JR総武線稲毛駅
 最寄り駅、稲毛駅へは、東京駅から総武線快速で35分。
 西口を出て、ロータリーの右先交番のある通りを右(にし)へしばらく行き、京成電車の踏切を渡る。  

京成稲毛駅
 踏切を渡ったところが京成電鉄の稲毛駅。ここへは京成上野からの特急を、津田沼駅で各停に乗り継いで50分ほど。  

せんげん通り
 駅前のせんげん通りを行くと、前方に小高い森と赤い鳥居が見えてくる。
 赤い鳥居を潜ると稲毛浅間神社の境内で、境内にある八坂神社など8社ある末社にお参りしながら、ゆるやかな坂道を上がって行く。駐車場の手前を右へ回りこむと本殿の前に出る。

稲毛浅間神社
 当社は大同3年(808)に富士山本宮浅間神社から勧請されたと伝えられている。祭神は木花咲耶姫命で、安産・子育ての神として信仰されている。配祀として瓊々杵命と猿田彦命が祀られている。
 治承4年(1180)には源頼朝が武運長久を祈願したのをはじめ、代々の千葉氏の信仰が篤かったという。
 文治3年(1187)には富士山の形に盛土をし、その上に新しく社殿が立てられたが、昭和39年9月、原因不明の火災によって焼失し、現在の社殿は昭和41年に再建されたもの。  正月や7月の例大祭などでで舞う神楽は県の無形民俗文化財に指定されている。

境内の松林
 かつてこのすぐ南下までが東京湾だった。いかにも海辺の松林といった景観がその面影を残す。この松林は千葉市の天然記念物に指定され、市の名所の一つとなっている。
 今は見えないが、浅間神社の本殿は、東京湾を隔てて富士浅間神社と向かい合うように建てられたという。

旧神谷伝兵衛稲毛別荘
 浅間神社を南に出て、国道14号線を5分ほど東へ向うと旧神谷伝兵衛の別荘がある。
 ここは、大正7年神谷伝兵衛(1856〜1922)が病気療養のため、当時東京湾に面し白砂青松の美しかったこの地に別荘を建てたところ。神谷伝兵衛は、日本人好みに蜂蜜や薬草を入れた甘口の葡萄酒(ハチ印ぶどー酒)やデンキブランを売り出し、日本初のワイン醸造工場(牛久シャトー)を造って、日本のワイン王として知られている。
 明治13年浅草に開業した「みかはや銘酒店」は、その後「神谷バー」と改め、今も営業を続けている。

 この別荘は千葉市で最も古い鉄筋コンクリート造りということで、国登録有形文化財となっている。
 建物は、半地下式地上2階建てで、内部は無料公開されている。
 1階広間は寄せ木張り床の洋間。2階は和室。和室の床柱には太い葡萄の木が使われており、天井は竹組。付け書院の欄間には葡萄、蜂、蜻蛉の木彫りが施されており、部屋全体がぶどう棚をイメージしている。  

千葉市民ギャラリー・いなげ
 旧神谷伝兵衛稲毛別荘の隣、同じ敷地内にある。
 千葉市民の作品制作や展示に利用されており、常設展はないが、随時企画展や講座などが開催されている。
 周りには、かつての海浜の松林を思わせる庭園が広がり、市民の憩いの場となっている。  

千葉市ゆかりの家・いなげ
 もとの国道14号線を戻り、浅間神社の鳥居のすぐ先の道を右に入る。すぐ右上に古い家が見える。中国清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀の弟溥傑が、昭和12年に嵯峨侯爵の長女浩との新婚生活を送った家。溥傑は、半年ほどだったようだが、ここから凡そ4kmほど離れた作草部にあった陸軍兵学校へ馬で通っていたという。
 建物内部や庭園は無料開放されているが、残念ながらこの日は休館日だった。休館日で気を付けなければいけないのは、月曜と祝日が休館。月曜日が祝日に当たるときは、その祝日と翌日の火曜日が休館となり、他とは異なるので注意。

稲岸公園
 再度14号線に出て100mほど先の歩道橋を渡る。ここから海浜公園まで2kmあまりの広い真直ぐな道が伸びている。その道に沿って300mほど芝生の公園が続いている。中ほどにはSLも置かれており、子供達の良い遊び場となっている。この中をぶらぶら行くのも良い。

民間航空発祥記念碑
 子供たちが遊ぶSLを見て先へ進むと、飛行機の尾翼をシンボライズした民間航空発祥地の記念碑が立っている。かつてこの辺りは遠浅の海岸で、干潮時には海岸から1km以上もの干潟が出来たという。
 明治45年(1912)奈良原三次はこの干潟を滑走路として利用し飛行訓練所を開設した。これが民間初の飛行場となった。昭和46年にそのことを記念して高さ9mの記念碑が建てられた。

海浜松岡通
 稲岸公園からこじま公園通を渡り、海に向って真直ぐに伸びる海浜松岡通を行く。
 このあたりは昭和43年から埋め立てにより造成された海浜ニュータウンで、住宅や中高層マンションが並ぶ。道路も直線で幅広く気持ちが良い。
 右手に市民プールを見て進み、京葉線の高架下(道路の反対側が海浜公園駅)を行くと正面に稲毛海浜公園がある。

稲毛海浜公園
 稲毛海岸は遠浅の海で、かつては春から夏にかけての潮干狩りや海水浴、また、海苔や貝類などの内湾漁業が行われていた。その後、住宅地開発のため海岸線は埋め立てられたが、その海側に「みどりと水辺」をテーマに稲毛海浜公園が整備された。
 長さ約3km、面積約83haの園内には、我が国初の人工海浜「いなげの浜」や花の美術館、プール、運動施設、ヨットハーバーなどが整備されている。

稲毛民間航空記念館
 公園管理事務所入口を入って右手奥に丸屋根の建物がある。
 平成元年4月、奈良原三次が製作した鳳号(複葉機)を復元したのを機に、記念館が建設された。
 奈良原三次(1877〜1944、鹿児島県出身)は、明治45年(1912)5月、稲毛の干潟を利用して日本初の民間飛行場を開設し、伊藤音次郎、白戸栄之助をはじめ多くの飛行家たちを育成して、この地を拠点に活躍した。
 奈良原三次が改良を加えて制作した奈良原式4号機は「鳳号」と名付けられ、当時の傑作機として評判となった。  

 館内には、「奈良原式4号機鳳号」の復元機、昭和17年頃に多く生産された「文部省式初級滑空機」、干潟飛行場の模型や、航空機の発展歴史を伝えるパネル、「鳳号」復元機の飛行模様のビデオ、航空機に関するQ&Aビデオ、飛行の原理がわかる風洞実験、飛行場開設当時の写真等が展示されている。  

稲毛記念館
 千葉市が実施した臨海開発事業の意義を伝えるために建てられた施設。
 1階の資料室には、稲毛海岸の埋め立ての歴史、海と人とのかかわりを示す民俗資料や、漁具などを展示している。
 なお、展示物の一部には東日本大震災の被害を受けて、まだ修復されていないものもある。  

展望室
 3階展望室からは東京湾が一望でき、海ホタルやスカイツリー、晴れた日には富士山も望める。

 広々とした芝生の広場。おとなもこどもも、走り回ったり寝転んだり、のびのびと楽しんでいる。この先が人工海浜。
 園内は広く、縦横に遊歩道もあるが、芝生の上を歩いて廻るのも良い。

千葉市花の美術館
 海浜公園のほぼ中央に大きな円形の大温室が遠くから目を引く。温室棟、展示棟、休憩棟と外部庭園などからなる花の美術館。
 花の育て方、飾り方、楽しみかたを学び、花の文化に触れられるよう展示に工夫が凝らされている。緑の相談所があり、フラワーカレッジなども行われていて、花について楽しく学べるところ。是非見て置きたい。  

 温室棟では、ハイビスカスやラン、熱帯植物で南国ムード一杯。
 チューリップの花咲く丘の向こうには洒落たシャレー。が、建物は大きなパネル写真。展示棟ではこんな工夫もされており、携帯カメラマンを喜ばせている。
 モネサロンには、パリ「オランジュリー美術館」に飾られているクロード・モネの作品「睡蓮」の壁画8点から、「日没」と「緑の反映」を原寸大で複製して展示している。    

 各展示ブースは通りに面した小さなお店をイメージして、全体としてはヨーロッパの花ある街並みに見立てている。
 各ブースでは、花と緑をテーマにした工芸作品、織物や編み物、ドレスなどの作品などが展示されていて、一つ一つ楽しく見て回れる。

 これだけ見て廻ったところで夕闇が近付いてきた。またまだ見たいところだが時間が足りない。またの機会を願って帰途につくことにした。  

   帰りは、公園管理事務所入口から右手に団地を見ながら来た道を戻る。稲毛駅までバスもあるが、途中の京葉線稲毛海岸駅まで歩いても20分弱。  

JR京葉線稲毛海岸駅
 ここから東京駅までは快速で37分程。  

お昼
 天気の良い日は少し我慢して海浜公園で、海を眺めながらお弁当を開くのも良いが、公園入口の少し手前に通りを挟んで小さなレストランが3軒ほどある。
 ちょうどお昼になったので、左側にある「オープン セサミ」というお店に入った。ここの焼きチーズカレーは美味しかった。お勧め。  




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