里山歩き


上総国分寺と国分尼寺跡を訪ねて


2011.1.9歩く

コ ー ス  徒歩1時間40分
小湊鉄道上総村上駅(20分)上総国分寺跡(15分)根田祇園原貝塚遺跡(1分)上総国分尼寺跡(40分)千葉子どもの国キッズダム(25分)小湊鉄道海士有木駅

古代、市原には上総国の国府が置かれ、国分寺・国分尼寺が建立されて政治・文化の中心地であった。発掘調査の結果、国分寺・国分尼寺共にその規模は全国でも最大級のものと分かり、跡地はきれいに整備されている。特に国分尼寺は中門・回廊が復元されており、当時の姿を垣間見ることが出来る。山倉ダムにある子どもの国を結んで歩き、ダムの冬鳥を楽しんだ。

    

小湊鉄道上総村上駅
 東京駅からJR房総西線直通の快速で1時間。千葉駅からだと17分。五井駅で小湊鉄道に乗り換え、1両のヂーゼルカーに揺られて1駅、田んぼの中の無人駅に降り立つ。
 集札は車掌さんが行う。ここはスイカが利用できない。うっかりそのまま乗り継いでしまったが、そこは慣れたもの、美人の車掌さんがてきぱきと取り消し証明を書いてくれた。

国分寺跡への道
 駅の北側で踏切を渡り東へ向う。駅周辺には民家があるのみで商店はない。途中何軒かある店もシャッターは下りたままだった。
 二つ目の信号を渡ったところにコンビニがある。正面に戸隠神社の森が見えるので、ここを左から巻くようにゆるい坂本郷坂を上がって行く。  


上総国分寺西門跡
 本郷坂を上がりきってすぐに車道を渡ったところが上総国分寺の西門があったところ。
 国分寺・国分尼寺は、飢饉や疫病の流行、不安な政情を鎮めるために、聖武天皇が天平13年(941年)に詔を発して全国に建てさせたもの。
 国分寺は国府の近くに建立されており、上総の国府はこの近く惣社の辺りにあったとされている。古代の東海道は相模から安房(館山)へ渡り、上総(市原)、下総(市川)を経て常陸(石岡)へと通じていた。

金堂跡
 西門跡を入って右へ進むと広々と開けており、伽藍のあったところ。中門跡から正面の木立のところにあった金堂跡を望む。その奥が講堂跡。右手の一段高いところが七重塔跡。塔の位置が、南大門、中門、金堂、講堂の一直線上から少し右にはずれているのは珍しいが、これは奈良大安寺の前身で、造営途中で焼失した飛鳥の大官大寺と同じ伽藍配置になっている。ただし、大安寺は東西に塔があったので、大官大寺も計画では二つの塔があったのかもしれないが。

七重塔跡
 基壇の一辺の長さが19mであるところから、塔は七重で高さは63mと推定されている。これは近くに建つ市原市庁舎(10階建て、50m弱)よりはるかに高い。当時一般の民家はまだ竪穴住居であったようだから、人々はこの塔を見たときは、今建設中のスカイツリーどころの騒ぎではなかったと想像される。
 延喜式によると上総国の等級は大国ということもあって、国分寺の規模も武蔵国分寺に次ぐ大きさだったという。
 これほど大きな国家的事業であったはずなのに、いずれも廃寺となり、跡だけになってしまったのは何故だろう。10世紀になって班田収受が行き詰まり、中央集権の国家機構の衰退が原因で経営も難しくなったものと思われるが、やはり国立ゆえ、民衆からの信仰も希薄だったのだろう。

薬師堂
 講堂跡辺りに現在も国分寺の法灯を守る清浄院国分寺がある。真言宗のお寺で、西門跡の東方に仁王門があり、そこを入ってすぐ左が本堂で、正面には茅葺の薬師堂がある。

 塔跡から東へ向う。東隣にある市民会館を抜けると市役所通り。ここを歩道橋で渡ると市原市役所。その先東側が国分寺中央公園で、さらにその東隣に国分尼寺跡がある。

根田祇園原貝塚遺跡
 国分寺中央公園の一角に根田祇園原貝塚遺跡がある。今から3000年余り前の縄文時代後期の集落跡で、直径140mほどの環状貝塚であったそうだが、今は一部道路で分断されている。貝塚からは土器・石器・骨角器などが出土している。

上総国分尼寺跡
 根田祇園原貝塚遺跡から道路を挟んで東側にある。国分寺と同時に全国に建立されたもので、中でも上総国分尼寺は全国一の規模を誇った。
 発掘調査の結果伽藍配置のすべてが確認された。全容が明らかになったのは全国の国分尼寺でも珍しく、昭和58年と61年に国の史跡に指定された。
 また、平成5年に中門が、平成9年には回廊が復元されて、当時の姿が偲ばれるようになった。    

金堂跡
 中門から北方を見る。中央基壇の上に金堂があり、左右の回廊(切れているところ)で中門と結ばれていた。この奥に講堂・尼坊などがあった。

上総国分尼寺跡展示館
 史跡の一角に展示館がある。館内には出土品の展示や各種解説板などがあり、随時上映される映像と共に、国分寺・国分尼寺が建立された意味や背景が良く分かる。特に復元模型では尼寺の全貌、周辺の場所の様子が手に取るように分かる。中でも、復元模型での解説が終わると、正面のスリガラスが一瞬透視ガラスとなり、窓外に復元された中門と回廊が展開し、復元模型と併せて見られる演出は素晴らしい。

 国分尼寺跡を出て右へ。最初の広い通りを右へ住宅地の中を行く。前方に見えてくるのが目指す山倉ダムの堤防。
   山倉ダム西側の交差点に出たら右へ行き、次の信号を左に折れて堤防の上に出て、堤防上の道を行く。

カワウのコロニー
 山倉ダムは、京葉工業地帯の工業用水を得る目的で昭和38年に作られた貯水池。
 冬ならば沢山のカモ類が来ている。ダムに突き出た半島の先には沢山のカワウの巣があり、カワウのコロニーとなっていた。木々はそのカワウの落とした糞で、雪が積もったように白くなっている。

千葉こどもの国キッズダム
 堤防の上を左に回り、ダム上に架かる山倉橋を渡ると千葉こどもの国キッズダムの入口。ちょうど山倉ダム湖の真ん中に突き出た半島部分が園地となっている。  

 昭和46年千葉県福祉ふれあい財団により「千葉県こどもの国」としてオープンしたが、その後同財団の解散により、蓮沼海浜公園内の施設を運営管理している千葉県レクリエーション都市開発株式会社が引継ぎ運営している。

 広い園内はまさに子供の国。芝生広場を中心に、キッズダムトレイン、わくわくサイクリング、ゴーカート、釣り堀。室内ではRCサーキット、鉄道ジオラマ、ローラーリンク、ものづくり体験室など様々な施設があり、子供が喜びそう。ただし、出費がかさむことは覚悟。
 こどもの国から内房線の八幡宿駅、五井駅にバスの便がある。遊び疲れたらこれを利用すると良い。八幡宿駅へは25分ほどで、平日は30分に1本、日祝は1時間に1本くらい運行されている。

 歩き足りないときは海土有木駅まで頑張ってみよう。先ほどの山倉橋を渡り返し、300mほど行ったところで、堤防から左に降りる道がある。これを降りて長閑な田舎道を道なりに行く。広い農免道路を渡ると右へ折れる標識があるのでこれに従って行くと左手に駅が見えてくる。

海土有木駅
 ここも駅員無配置駅。懐かしい木造駅舎。内房線五井駅までは8分ほどで、3・40分に1本の割合で運行されている。

出札窓口
 これも懐かしい。昔はこんな窓口で硬券を買ったものだが。  


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