街歩き


手賀沼文学の道


2005.1.18歩く

              

大正4年、志賀直哉が手賀沼を見下ろす風光明媚なこの地
に居を構えた。翌年武者小路実篤が移り住み、既に住民で
あった柳宗悦、その後移って来た中勘助、滝井孝作など、
我孫子は白樺派文人の活動の拠点となった。
そんな作家の人と作品を偲びつつ、手賀沼の景観を楽しむ
コースを歩く。沼では白鳥や鴨などの水鳥が群れ遊ぶ。

我孫子駅(10分)手賀沼公園(20分)根戸古墳公園(5分)船戸の森(3分)旧武者小路実篤邸(10分)根戸城址(30分)手賀沼公園(20分)親水広場・鳥の博物館(10分)子ノ神大黒天(10分)志賀直哉邸跡・白樺文学館(10分)楚人冠公園(15分)我孫子駅(徒歩2時間半)

根戸船戸2号墳

我孫子駅を出て南へまっすぐ、成田街道を横切ってゆるい坂を下りていくと手賀沼公園。 公園に入らず手前を右へしばらく行き、斜め右の道に入る。しばらく直進。道が大きくカーブする先に船戸の森が見える。この50m手前で右へ坂を上っていくと住宅街の中に根戸古墳公園がある。
7世紀末のもので前方後円墳の変形とされる。須恵器や鉄器が発掘されている。

船戸の森

元の道に戻って先へ進み、正面の階段を上がると船戸の森。東屋やベンチがあり休むのに良い。

旧武者小路実篤邸

森を通り抜け、反対側の出口を出て直ぐ、新しい住宅の横を入っていく。
武者小路実篤は大正5年の暮れから7年までここに住み、「新しき村」を書いた。理想主義の実践運動として同志を募って、新しき村の発会式を行なったのもこの邸内。

手賀沼公園

元の道に戻り、住宅街の道をさらに先へ進むと小さな森を通って車道に降り立つ。前方に見える小高い山が根戸城址。突き当りの三叉路を左に行くと手賀沼沿いの道に出る。これを左へ。桜並木の道を行くとやがて手賀沼公園。
公園にはボートや湖上遊覧船もある。景観を引き立てていたポプラの木も空洞化が進み、危険とのことで2004年8月に切られてしまった。

手賀沼遊歩道

手賀沼公園からの遊歩道は、桜を始め春から秋にかけて折々に咲く花が行く人の目を楽しませてくれる。

親水広場

手賀沼大橋をくぐると親水広場。秋から春にかけて沢山のカモ達が渡ってくる。水の館ではプラネタリュウムも見られ、前の芝生や水場は子供たちの格好の遊び場となっている。
毎年11月に行なわれるジャパンバードフェスティバルは全国から大勢の人が集まり賑わう。   

我孫子市鳥の博物館

親水広場から道路を渡ったところにある。
鳥専門の博物館としてはわが国唯一のもの。数多くの世界の鳥の標本を常時展示しており、鳥好きにはたまらないところ。「人と鳥の共存をめざして」とのテーマのもとにいろいろな企画展も開催されている。  

子ノ神大黒天

鳥の博物館を出て西へ。大きな交差点に出るので、ここを渡って右へ。直ぐ左に入る道を行く。 しばらくで右へ急な長い石段がある。登ったところが子の神大黒天。
脚の疾患に霊験あるとかでお参りする人が多い。ここには1基の前方後円墳と13基の円墳があり、6世紀に作られたもの。いずれも埴輪を持ち、市内でも有数の古墳群である。  

志賀直哉邸跡

石段を下り、元の道をさらに進む。1棟のマンションの前に園地風になったところが志賀直哉邸跡。現在建っている小さな建物は復元された書斎。

志賀直哉は大正4年から12年までここに住んで、「暗夜行路」や「和解」などの名作を生んだ。  

白樺文学館

志賀直哉邸跡の直ぐ斜め向いにある。
志賀直哉や武者小路実篤の作品や書簡、書籍の他、白樺派に関する数多くの資料が集められ展示されている。  

楚人冠公園
白樺文学館からさらに西へ10分ほど。住居表示案内板のあるところを右に入る。左手の丘を回り込むように登ると小広い園地。
杉村楚人冠はここを白馬城と名付けて、大正13年から昭和20年に没するまでここに住んだ。本名広太郎。明治から昭和にかけて活躍した朝日新聞の最高幹部の記者。 「朝日グラフ」を創刊し、誌上で手賀沼を広く紹介した。
元の道に戻り先へ進むと手賀沼公園に出て、出発の時に歩いた道を駅まで戻る。

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