わが街我孫子を歩く
緑地と新田開発の歴史を訪ねる
2006.08.31歩く
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JR成田線布佐駅 出発点となる布佐へは上野から我孫子経由の直通で51分。我孫子からは17分。 駅南口を出て右へ、高層住宅の中を我孫子方向に戻るように行く。信号機のあるところを渡り、次の角を右へ。成田線の踏切がある。 |
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案内図 踏切の手前にコース上唯一の案内板がある。ここから宮ノ森公園までは住宅地の中。分かり難いのでこの図をしっかり頭に入れていこう。 |
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宮ノ森公園 市内では比較的大きく、整備された公園だ。桜の木やつつじが多く、花の時期には良いだろう。 |
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国道356号 宮ノ森公園を反対側に出て、坂を上っていくと布佐小学校を右に見て国道356号にでる。 ここを左にしばらく行くが、道は狭く、歩道も無いので往来する車には十分注意したいところ。 先に信号が見えるが、その手前を左に入り農協の前の道を行くと消防署の前の道に出る。ここを左に、成田線の上を渡り真直ぐ進む。 |
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布佐一里塚跡 上記場所を左折しないで直進し、信号を渡ったところに布佐一里塚があった。今は塚はなく、その場所を示す石標が立てられていた。 この信号を左折すると消防署の前で先ほどの道と一緒になる。 |
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布佐市民の森 右手前方に老人ホームが見えてくると、その先に隣接して市民の森の入り口がある。中央に池があり、その縁を降りていく。大して広くなく知らない間に通り抜けてしまった。 この少し先に池を見下ろす展望台があり、さらにその先に正面入り口がある。ここを入って池の左の高みを行くと先の道と同じところに出る。 11月にはここと宮の森公園、相島芸術文化村、相島の森を会場に、我孫子野外美術展が開催され、コンサートなどもあって賑わうようだ。 |
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浅間神社 市民の森を出て左へ。二つ目の分岐を右へ行くと布佐下通りに出る。ここを右へ行くと右手前方にこんもりとした森が見えてくる。石の鳥居を潜り石段を登ると小さな本殿がある。この辺りの氏神様で、木花咲耶姫命を祭る。 鳥居の前には新四国相馬霊場八十八ヶ所の番外89番札所がある。 元の道を戻ると道の左に開発救済碑があった。 |
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開発救済碑 手賀沼の氾濫に悩む周辺の農家にとって手賀沼の開墾は悲願であった。享保年間幕府の指導の下に新田開発が行われたが、江戸の商人であった井上家もこれに参加し、相馬新田を開発して名主となった。その後も水害対策には悩まされたが、井上家12代二郎は、東大卒業後土木技師として各地で経験した技術を駆使して耕地安定化に成功した。これは耕地整理の記念碑である。 |
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相島新田名主・井上邸 開発救済碑と道路を隔てた反対側にある。現在「相島芸術文化村」としていろんな芸術文化活動が行われており、毎年11月にはここを中心に、周辺の公園で「我孫子野外美術展」が開催される。 |
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稲荷神社 布佐下通りをさらに先に進むと右手に稲荷神社があり、新四国相馬霊場八十八ヶ所のの四十一番札所があった。 ここから10分ほど進み信号のある交差点を渡ったところに「布佐文庫」のある図書館がある。 |
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布佐文庫 布佐文庫は、明治41年(1908年)、布佐の各家から寄贈された図書を集めて設立された。当初の蔵書数4400冊は、千葉県内の9図書館のうち3番目だったとか。初代理事長に医師松岡鼎が就任、蔵書の中に松岡(柳田)國男署名のものもあった。 当初勝蔵院に置かれたが、その後布佐小学校に移された。その後図書が散逸し、現在は250冊ほどとか。手にとって見ることは出来ないが、目録は受付で見せてくれる。 |
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我孫子市図書館布佐分館 布佐文庫の置かれた我孫子市の図書館。布佐文庫は玄関を入ったすぐのところにあった。 ここを出て右(写真手前)へ行き、次の通りを左に入るとスタート地点の布佐駅まですぐだった。 |