国 名 |
国分僧寺所在地 |
国分尼寺所在地 |
畿 内 |
大 和 | 奈良県奈良市雑司町 | 奈良県奈良市法華寺町 |
山 城 | 京都府相楽郡加茂町例幣 | 京都府相楽郡加茂町法花寺野 |
河 内 | 大阪府柏原市国分東条塔本 | 大阪府柏原市国分東条 |
和 泉 | 大阪府和泉市国分寺町国分 | 未詳 |
摂 津 | 大阪市天王寺区国分町 | 大阪市大淀区国分寺町 |
東 海 道 |
伊 賀 | 三重県伊賀市西明寺 | 同左 |
伊 勢 | 三重県鈴鹿市国分町西高木 | (三重県鈴鹿市国分町花ノ木) |
志 摩 | 三重県志摩市阿児町国府 | 未詳 |
尾 張 | 愛知県稲沢市矢合町 | (愛知県稲沢市法花寺町) |
三 河 | 愛知県豊川市八幡町本郷 | 愛知県豊川市八幡町忍地 |
遠 江 | 静岡県磐田市中泉 | (同左) |
駿 河 | 静岡県静岡市大谷 | 未詳 |
伊 豆 | 静岡県三島市泉町 | 静岡県三島市南町 |
甲 斐 | 山梨県笛吹市一宮町国分425−1 | 山梨県笛吹市一宮町東原646−1 |
相 模 | 神奈川県海老名市国分 | 同左 |
武 蔵 | 東京都国分寺市西元町 | 同左 |
安 房 | 千葉県館山市国分952−2 | 未詳 |
上 総 | 千葉県市原市惣社字上クボミ | 千葉県市原市国分寺台 |
下 総 | 千葉県市川市国分 | 同左 |
常 陸 | 茨城県石岡市府中5−1 | 茨城県石岡市若松3−1 |
東 山 道 |
近 江 | (滋賀県大津市国分) | 未詳 |
美 濃 | 岐阜県大垣市青野 | (岐阜県不破郡垂井町平尾) |
飛 騨 | 岐阜県高山市総和町 | 岐阜県高山市岡本町辻ヶ森 |
信 濃 | 長野県上田市国分1049 | 同左 |
上 野 | 群馬県高崎市東国分町 | 同左 |
下 野 | 栃木県下野市国分 | 同左 |
陸 奥 | 宮城県仙台市若林区木ノ下 | 宮城県仙台市若林区白萩町 |
出 羽 | (山形県鶴岡市) | 未詳 |
北 陸 道 |
若 狭 | 福井県小浜市国分 | 未詳 |
越 前 | 未詳 | 未詳 |
加 賀 | (石川県小松市古府町) | 未詳 |
能 登 | 石川県七尾市国分町 | 未詳 |
越 中 | 富山県高岡市伏木一宮 | 未詳 |
越 後 | (新潟県上越市五智国分寺) | 未詳 |
佐 渡 | 佐渡市国分寺 | 未詳 |
山 陰 道 |
丹 波 | 京都府亀岡市千歳町国分桜久保25 | 京都府亀岡市千歳町国分尼寺ヶ堂 |
丹 後 | 京都府宮津市国分 | 未詳 |
但 馬 | 兵庫県豊岡市日高町国分寺 | 兵庫県豊岡市日高町水上 |
因 幡 | 鳥取県鳥取市国府町国分寺 | (鳥取県鳥取市国府町法花寺) |
伯 耆 | 鳥取県倉吉市国分寺 | (同左) |
出 雲 | 島根県松江市竹矢町 | 同左 |
石 見 | 島根県浜田市国分町 | 同左 |
隠 岐 | 島根県隠岐郡隠岐の島町池田 | 島根県隠岐郡隠岐の島町有木 |
山 陽 道 |
播 磨 | 兵庫県姫路市御国野町国分寺 | 同左 |
美 作 | 岡山県津山市国分寺 | 同左 |
備 前 | 岡山県赤磐市馬屋 | (同左) |
備 中 | 岡山県総社市上林 | 同左 |
備 後 | 広島県福山市神辺町 | (同左) |
安 芸 | 広島県広島市西条町吉行 | (同左) |
周 防 | 山口県防府市国分寺町 | (同左) |
長 門 | 山口県下関市長府 | (同左) |
南 海 道 |
紀 伊 | 和歌山県紀の川市東国分 | (和歌山県岩出市西国分) |
淡 路 | 兵庫県南あわじ市八木国分 | (兵庫県南あわじ市八木新庄) |
阿 波 | 徳島県徳島市国府町矢野 | 徳島県名西郡石井町 |
讃 岐 | 香川県高松市国分寺町国分 | 香川県高松市国分寺町新居 |
伊 予 | 愛媛県今治市国分 | 愛媛県今治市桜井町 |
土 佐 | 高知県南国市国分 | 未詳 |
西 海 道 |
筑 前 | 福岡県太宰府市国分 | 同左 |
筑 後 | 福岡県久留米市国分町 | (同左) |
豊 前 | 福岡県京都郡みやこ町国分国分寺 | 福岡県京都郡みやこ町徳政 |
豊 後 | 大分県大分市国分 | (同左) |
肥 前 | 佐賀県佐賀市大和町大字尼寺 | 同左 |
肥 後 | 熊本県熊本市出水 | 同左 |
日 向 | 宮崎県西都市大字三宅 | 宮崎県西都市大字右松 |
大 隈 | 鹿児島県霧島市国分向花町 | 未詳 |
薩 摩 | 鹿児島県薩摩川内市国分寺町 | 未詳 |
壱 岐 | 長崎県壱岐市芦辺町国分 | 未詳 |
対 馬 | 長崎県対馬市厳原町 | 未詳 |
天平13年(741年)、当時流行していた疫病の平癒と政情不安を鎮撫するため、聖武天皇の発願により全国に国分寺と国分尼寺が建てられた。そして大和東大寺を総国分寺、同法華寺を総国分尼寺と位置付けた。 国分寺はそれぞれの国の国府の近くに建てられ、七重塔を含む伽藍は当事国府とともにその国の最も大きな建物であった。だが、一部では建設がままならず、既存の寺を国分寺にしたところもあったようだ。 国分寺は国分僧寺で、正式には「金光明四天王護国之寺」と呼ばれ、封戸50戸と水田10町を施入し、僧20人を常住させ、国分尼寺は「法華滅罪之寺」と呼ばれ、水田10町を施入し、尼僧10人を常住させていた。 だがその後、律令体制の緩みとともに中央官からの財政支援もならず、次第に衰退していった。一部再興した寺もあるが、ほとんどは廃れた。 近年各地で調査が重ねられ、当時の遺構が判明したところもあるが、未だに所在が確定できないところもある。 表中、( )内の所在地は推定地。 |